80年代活動していた『ミュータント・モンスター・ビーチ・パーティ』というバンドを知っていますか? このちょっと長いバンド名は、アメリカのパンク・マガジンが発刊していた実写漫画 (ミュージシャンが1コマずづ演技した写真で構成されている) コミックスのタイトルからつけたバンド名。70年代にこのパンク・マガジン12号に日本人のラモーンズ・ファンが描いた漫画が掲載されました。その漫画を描いた人物が、今回登場の『ジョニー・ディスコ・ビーチ』のヴォーカル、クミーさん。漫画が掲載される経緯にはジョーイが絡んでいる!? というラモーンズ・ファンにとってワクワクするような話をたっぷり聞かせてもらいました。70年代、東京に上京してきたロック・ファンの女の子のリアルなストーリーです。


ーーそれではクミーさん、宜しくお願いします。まずは、ラモーンズとの出会いを教えてください。


クミー : 高校までは北海道の旭川で生活していたんだけど、大学に入るために上京した頃、レコード屋さんに入ってなんとなくLPを見てたら、ランナウェイズとラモーンズがあった。76年日本フォノグラムから出た日本盤で < WE ARE PUNK GENERATION > っていう帯がついてたんだけど、それをジャケ買いしちゃったの。それが最初の出会い。

ーー旭川にいる時はどんな音楽を聴いていたんですか?

クミー : ビートルズやGSに始まって、ツェッペ リン、ピンクフロイド、ニールヤング、ドアーズ、エアロスミスとか~思い出してみると、よく思い出せないくらい、自分の中でちょっとしたロックの停滞期があって、そんな時、ラモーンズをジャケ買いしました。

ーーそのジャケ買いした『ラモーンズの激情』を聴いてどう思いましたか?

クミー : 最初は何?このフニャフニャは?!って拍子抜けした感が強かったです。その頃はエアロスミスとかちょっとヘヴィめなのを聴いてたせいなのか、本当に何とも。でも何度も繰り返して聴いてたらだんだん好きになって「これはもしかして、ロックンロールの楽しさがつまっているアルバムなのかも」って思いなおした。そしたら当時、読んでた『MUSIC LIFE』っていう雑誌にラモーンズの直筆アンケートみたいなのが載っていて、それを見てジョーイがハーマンズ・ハーミッツが好きって書いてたから、じゃあ聴き直してみようと思った。ラモーンズを聴き始めてからロネッツとか60年代の音楽を聴いていたなぁ。

ーー直筆ありましたねぇ。それでラモーンズを好きになって、いよいよファン・クラブをやろうと思ったの?


クミー : いや、もうファン・クラブはあったの。昔はLPの中の歌詞カードの裏にファンクラブ会員募集みたいな広告がよくあったじゃない? だからそこに手紙を送ってみたの。「私で何か手伝えることありませんか?」って。会員になりたいじゃなくてスタッフで何かやりたいって。

ーーそうだったのね。それでスタッフの人と会って面接をした?

クミー : そう。ジュンコさんていう人と会ったんだけど彼女がラモーンズ・ファン・クラブの会長っていう人だったんだけど、真っ赤なエナメルのコートにシルバーのロンドンブーツをはいた人が現れて(笑)。私は田舎から出てきたばっかりだったから、そんな派手な女の子を見てもうびっくり。彼女、多分ニューヨーク・ドールズが好きだったんだと思う。

ーー革ジャンの女の子じゃなかったんですね。そのジュンコさんは、一人でファン・クラブをやってたの?

クミー : そう。多分一人でやってた。彼女はちょっと謎めいた娘だったなぁ。あとで、もう一人ゆりこちゃんていう女の子が入って、私たち3人でやっていた。

ーーゆりこちゃんは、ラモーンズが1番好きなバンドなの?

クミー : そうだったけど、そのあと雑誌『フールズメイト』の人と仲良くなって、プログレっぽい方に行っちゃった。だってゆりこちゃん、3人でDEVOを見に行ったんだけど「こんなのつまんない。帰る」って行って途中で帰っちゃったんだよ(笑)。

ーーあー、DEVOなのにもったいない(笑)。

クミー : そうなのよ。でも当時はそんな感じよ。



ーー当時、ファン・クラブの会員は何人くらいいたの?


クミー : 200人くらいはいたって言ってたけど、本当かなあ? でもそう言ってた。私はお手伝いだったから、よくわからないのよ、実は。私のやることは写真を雑誌からコピーしたりイラストを描いたりすることで。そういえば漫画家の山下和美さんもファン・クラブの会員だったって聞いたことある。

ーー私も聞いたことあります。でもスタッフをやっていたと聞いてたけど会員だったの?

クミー : 山下和美さんはファンクラブ会報1号で、ミルク&クッキーズっていうバンドのレビューを書いているのでスタッフぽかったのかなぁ? 私は原稿と山下さんの描いたイラストをジュンコさんから預かっただけでわからないわ。
 

ーーファン・クラブはいつからいつまで活動していたんですか?


クミー : 77年から79年くらい。2年くらいで終わったの。私はバンド始めちゃったし、ゆりちゃんもプログレに走っちゃったからそれで終わり。

ーー79年で終わりだと私は中学生くらいだからファン・クラブには出会えなかったし会報のことも知らないうちに終わってたんだなぁ。この年の差は大きいかも…。

クミー : 確かにそこの3年大きいかも。中学生じゃあ、ファン・クラブまで手が届かないね。


ーー届かなかった。それでアメリカのパンク・マガジンとはどうやって出会うの? 


クミー : パンク・マガジンは、ジュンコさんが持ってて「こんなの作ろう」って感じで私たちも作ったの。『NUTS』っていう会報なんだけど。ジュンコさんが好きだからニューヨーク・ドールズの特集も載せたりしてた。『NUTS』は77年から78年の間に全部で4冊作ったんだけど、書いているのは全部私の字。大学で勉強もしないで絵ばかり描いてた頃。レコード会社のコピー機使わせてもらって作ってたよ、タダだから。

ーー懐かしい時代ですね。当時はレコード会社とファン・クラブは密接な関係にあって、ファン・クラブが口コミとか宣伝係みたいな役割だったから会社への出入りも簡単だったし。

クミー : そうそう。それでレコード会社の人や出版社の人と知り合いになったの。そしたら当時ニューヨークから帰国したばかりのミュージシャン、S-KENさんを紹介してくれるって言われて、その頃S-KENさん荻窪に住んでいたから、ジュンコさんと二人で話を聞きに行ったのよ。最新のニューヨークの話が聞ける ! ! って喜んで。

ーーS-KENさんはCBGBでライヴとかを見ていた?

クミー : そうなの。S-KENさんにはクランプスとかも教えてもらった。「俺ブロンディと友達なんだぜ」と言ってて本当に、 ブロンディが初来日した時に私たちファン・クラブの三人娘は楽屋に連れて行ってもらえたんだけど、ラモーンズまだ来日してなかったからラモーンズのことばっかり質問しちゃってちょっと申し訳なかったな。(苦笑)

ーーイラストはいつから描いてたの? 雑誌『音楽専科』に出てた漫画家のアッコさんみたいな時代?

クミー : 私実は10代の時は漫画家になりたいと思ってたの。萩尾望都とか好きで。

ーー私も萩尾望都は読んでました。『ケーキ・ケーキ・ケーキ』って知っている?

クミー : 知ってる、知ってる。あれ「なかよし」の付録の漫画だったのに、中野のまんだらけで3万円くらいで売っててびっくりしちゃった。(しばらく漫画話で盛り上がる)

  

ーー自分のバンド、ボーイズ・ボーイズはもう組んでいた?


クミー : 大学に入ってからバンドを組んだの。その頃、『ロッキンF』っていう雑誌があって、そこの編集者の人に良くしてもらってたんだけど、それでミュージシャンのS-KENさんたちの仲間の家でパーティーがあるっていうんで連れて行ってもらったの。「ニューヨークではパーティをよくやるんだぜ」とか言ってて、それが流行ってた。パンク雑誌『DOLL』の森脇さんなんかも来てて、みんなニューヨークに刺激を受けてて「俺たちもなんかやらなきゃダメだ」みたいなムードになってたのよ。「ニューヨークじゃ、普通の女の子もみんなバンドやってるんだよ。君たちも何かやらなければダメだよ」ってさんざんおだてられて(笑)。バンドに熱あげてないで自分たちでやれって言われてた。

 
「ニューヨークなんか楽器なんか弾けなくてもステージ上がったってOKなんだぜ」みたな話を聞かされてさ。それでワーナーの山浦さんっていう人がS-KENさんと共同で六本木にスタジオを作ったの。S-KENスタジオはライブも出来るスタジオだったんで、そこに出入りしていた小島さちほさんとバンドを組んだの。その後ゼルダのメンバーになる人。

ーー当時の東京のロック・シーンの流れが見えるような感じね。

クミー : オリジナル・メンバーはドラムが半年で辞めちゃって、次の新しい子が入って一年半くらいはやってたかな。ニューヨークって何でもありっていうか、コードなんて弾けなくてもノイズ・ミュージックみたいなのもありで、それでリディア・ランチの『ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ジャークス』の音聴かせてもらってすごいなあって。それでコード1つでも音楽できるんだなぁって思った。

ーー今思うとニューヨークってノイズ発祥の地って気がする。それにしてもクミ-さんの70年代後半って、ニューヨークの影響ものすごく大きいね。ロンドン・パンクにはいかなかったの?

クミー : うん。ニューヨークの影響が大きくてすごく憧れてた。ロンドン・パンクも聴いたけど、ぜんぜんそっちに行かなかったな。もしかしたら食わず嫌いなのかもなんだけど、ファッションから入るロンドン・パンクにはぜんぜん興味わかなかった。

ーーそうなんだ。ロンドンパンクは10代中頃の私の世代にはどっかーんと凄い衝撃のムーブメントとして襲ってきたんだけど、このあたりの年の差って、もしかしたらすごく大きいかもね。

クミー : そうだよねぇ。私は10代が終わる頃だし、ニューヨークの影響が先だから。ロンドン・パンクが出できてからは当時の雑誌でとりあげられるのはロンドン・パンクばっかりになっちゃってニューヨークのシーンはぜんぜん。パンクはイギリスになってた。ニューヨークのシーンはあとみたいな。ちゃんとニューヨークの刺激をそのままリアルに受けていてよかった。

ーーロンドン・パンクの影響を受けずに、それよりニューヨークが先っていうのいいな。

クミー : 私、あまのじゃくだから、バンドがファッションから入るのが好きじゃなかったの。ちゃんと音楽から入らなきゃ嫌だったから、それでピストルズとかロンドン・パンクを聴かず嫌いっていうのもあったと思う。うちの息子なんてその最たるもんなのよ。ラモーンズ知らないくせにTシャツ着ているし。(笑)

ーー「お母さんジョーイと会ったことあるのよ」って自慢しちゃえばいいのに(笑)。でもニューヨークが先っていうのは本当に羨ましい。それでミュータント・モンスター・ビーチ・パーティはいつ描いてどうつながったの?

クミー : 最初はジョーイにファンレターを書いたんだけど、漫画も描いて入れて送ったの。

ーーどこに?

クミー : アメリカのサイアー・レコードに。


ーーそれは、ちゃんと届いてた? 私がサイアー・レコードにファンレター出してた手紙は1通も届いてなかったよ。


クミー : ちゃんと届いていて1ヶ月でジョーイから返事が来たのよ。ファーストを出したばかりだったから宣伝する意味もあったのかもだけど、その頃は出せば1ヶ月で返事が来たの。だからまた出した。

ーー素晴らしい。手紙を受け取った時は嬉しかった?

クミー : もう天にも登る気持ちとは、この事でニューヨークから空をわたってジョーイから手紙が来たと思うと夢ごこちでした!

ーー(クミーさんが現物をバッグから出して見せてくれて)おお、凄い。ジョーイから何通手紙をもらったの

クミー : 3通。今初めて気がついた。この消印が全部77年だね。

ーー本当だ。しかも毎月連続で届いてる。

クミー : 本当だ。わぁ、今気がついた。毎月届いてたのか。暇だったのね(笑)

ーー(笑)日本からファンレターが届いて嬉しかったんじゃない? それにデビューしたばっかりだしファンレターの返事もロック・スターだから書かなきゃみたいな?
 

クミー : そうねぇ、きっと。これ凄くニューヨークっぽいカードだと思わない?

ーー思う思う(笑)いいね。このニューヨークな感覚(しばし眺めて談笑)クミーさんがファンレターと漫画も送ったのをパンク・マガジンにジョーイが持って行ったわけだ?

クミー : そうだと思う。それで掲載されたパンク・マガジンが届いたの。

ーージョーイから?

クミー : サイアー(レコード)の人から。


ーー「載せていいですか?」じゃなくて先に掲載されてたの?  でもジョーイがちゃんと「送っておいて」って言ったのかもね。

クミー : そう。もう載ってた。素敵なクリスマス・プレゼントになったよ。今、消印を見るとこれが最後だから77年にこの3通の手紙のやりとりがあって、次の年はもう返事は来なくなって終わり。

ーー黄金の77年じゃないですか。デビュー盤がヨーロッパで話題になってツアーで忙しくなっちゃったからじゃない? この漫画はちゃんと英語の吹き出しになっているけど、書き直したの?

クミー : へたくそな英語だけど、書き直してみたの。

ーーパンク・マガジンに掲載されたのは、この1冊だけなの?ミュータント・モンスター・ビーチ・パーティはクミーさんのバンド名になるじゃない? それはここから取ったの?

クミー : そう。ボーイズ・ボーイズのあとがちょっと開くけど、ミュータント・モンスター・ビーチ・パーティ、その次がジョニー・ディスコ・ビーチ。何故かバンド名はビーチばっかり。(笑)

ーーパンク・マガジンが先? クミーさんが先?

クミー : 漫画が先。漫画のこの号から名前をとってつけたの。バンド作るんだったらこの名前もらおうって思ってたから。(ぱらぱら見ながら)この漫画が面白いよねぇ。みんな演技してるんだもん。



ーーほんと、面白すぎる(笑)。リチャード・ヘルが演技してる。『ミュータント・モンスター・ビーチ・パーティ』特集号の名前ってことだよね?


クミー : そうそう。『ミュータント・モンスター・ビーチ・パーティ』っていうタイトルの漫画の号。デビーとジョーイが出演している漫画。これはパンク・マガジンの15号みたいよ。

ーーそして80年の初来日だけど、ジョーイと初めてあったのはどこで?

クミー : 『ロッキンF』っていう雑誌のインタビューに連れて行ってもらってね。そこで初めてジョーイに会えた。その時はね、もちろんジョーイに会えて、それは嬉しいんだけど、でもその頃の私はもう「私はバンドで生きていくのよ」って思ってて、ファンという感じじゃなかったんだよね。

ーーえ? それはどうゆう意味? 「私はあの漫画を書いたクミーです」ってジョーイに言わなかったの?

クミー : 言ったかなあ? 言わなかったと思う。インタビューの時も取材の人の隣にちょこんと座ってちらちらって見ていただけ。何となくそこまで強い欲求もなかったっていうか。(苦笑)

ーー意外な答えが。ジョーイに会って「キャー」じゃなかったの?

クミー : うん。「キャー」じゃなかったのよ(笑)。 もうバンドやり始めちゃってたから、私はファンじゃなくてミュージシャンよっていう気持ちだったの。クールになっちゃって。

ーーあ~、すごく予想外の答え。『ロックンロール・ハイスクール』のリフみたいに「キャー」って言う女の子かと思ってました。

クミー : ははは。そうなの。ラモーンズは凄く好きだったけど、バンドをやるんだっていう気持ちが自分の中で大きくなっちゃって、クールな感じでジョーイに会ったの。インタビューの日は渋谷のパルコでやったライヴをステージ横から見れて、その時は自分はすごく誇らしげな気持ちを味わえたけど、「ジョーイ素敵」っていう気持ちはなかったなぁ。ファンレターを書いた77年は「ジョーイのお嫁さんになりたい」って思ってたし、返事が届いて舞い上がってたりしたんだけどねぇ。何か冷めてたなぁ。

ーーそうかぁ。80年の来日ま渋谷のライヴはどうだった? 男のファンの方が多いって聞いたけど?

クミー : 男の方が多かったと思うよ。それに当時はシナロケが前座だったじゃない。どっちかっていうとシナロケのファンが来てた感じだよ。ラモーンズよりシナロケのファンの方が多かったんじゃないかと思う。

ーーそれみんな言うね。しかし、クミーさんのジョーイと会った時の瞬間は、まったく予想してなかった答えが返ってきてなんかびっくりしてるけど、この手紙、(現物を見ながら) ジョーイからの返事に「君のイラストはニューヨークにくれば仕事になる」って書いてあるじゃない? ニューヨーク行っちゃおうかなって思わなかったの?

クミー : う~ん。だってもうバンド始めちゃってたし、そっちに興味が向かなかったっていうか…すーって冷めちゃって。(笑)

ーーうわぁ(笑) でもクミーさん正直だ。それって20代の女の子って感じはとってもするもん。今やりたいことをやるっていうところ。それに、ラモーンズの初来日って2017年の今から見れば伝説だけど、その頃はただのアメリカのバンドの初来日だもんね。そこがリアルに当時だなと思う。レジェンドじゃなくて、初来日のバンドっていうだけ。それはある意味すごくリアルな話を聞かせてもらっていると思うよ。


クミー : そうかもね。自分のバンドの方がとにかく大事で、それで私は普通だったんだよね。

ーーちょっと大人になっちゃった感じなのかな? 「アイドル追っかけるより自分で歌うわ」みたいな。

クミー : そうそう。それはある。ちょっと大人になった気がする。

ーージョーイに会った時はどんな服着て行ったの?

クミー : 下は革パンみたいなの履いて、上はドナルドダックのTシャツで、首にシフォンのスカーフを巻いてた。スカーフは自分のオリジナルを取り入れたって当時は思ってたんだ。

ーーインタビューの内容はジョーイとの対談だったの?

クミー : ううん、ぜんぜん。私はただ『ロッキンF』の加藤さんていう編集者の人の横に座っていただけ。ジョーイはチョコレート・パフェみたいなの食べながら話していたと思うけど、私もちょっと緊張もしていたから、何話したかぜんぜん覚えていないんだけど。


ーーラモーンズのメンバー、みんな甘いの好きだなぁ。


クミー : あ、こんなの食べるんだって思った。(笑)


ーーサインもらった?


クミー : 93年にメルパルクで見た時は、私のマンガがジャケにのってるラモーンズ・マニアを持って行って、これ描いたの私ですってサインもらった。ついでに皆んなと一緒に楽屋口出て、ジョーイがバンに乗り込む時お別れにブチュとキスしてくれたの!

ーー93年、ジョーイはキス魔かも。キスしてもらった子他にもいるよ(笑)一緒に写真は撮ったの?

クミー : それも撮ってないの。雑誌社の人が撮ってくれたからいいやって思ってた。今ほど写真撮るのって普通のことじゃないじゃない?

ーーそうだよね。ジョーイから「NYに来れば?」みたいな手紙をもらって心は動かなかった?

クミー : すっごい動かされた。ニューヨーク行きたいなあって凄く思ったよ。周りの友だちもニューヨークに行ってたし、でも何でだろう。性格的にばーっとならないからかもだけど、迷ったけど…行かなかった。多分、大学入ったばかりだし、大学やめてニューヨークなんか行ったら親に怒られそうって思ったんだよね。

ーーああ、なるほど。それは納得。北海道から上京してニューヨーク行っちゃったら親は怒るね。ところでこのベーグル屋のナプキンに書いた手紙を読むとジョーイが女の子にモテた意味わかる気がしない? (笑) この手紙を受け取った時はどう思った?

クミー : なんか、ジョーイって女の子っぽいなって思ったよ、やっぱり。猫の名前はPAULだよって書いてきたり「ベーグルが冷めちゃうからまたね」みたいなこと書いてあって、男性的じゃなくて女性的だな~って感じた。



ーー私クミーさんにこの手紙見せてもらってから、このベーグル屋がどこにあるのか調べちゃった。そしたらニューヨークにもあるけど、サンタモニカにある店だったよ。だからツアー中にベーグル食べて紙ナプキンに書いたのかなって思った。


クミー : ああ、そうかもね。それでニューヨークに戻ってサイアーの人に渡して送ってもらったのかも。ありえる。

ーー今はイラストは描いていないの?

クミー : 今は描いてないなぁ。フライヤーとかには書いたりするくらい。

ーーラモーンズの来日公演は80年と88年を見に行って…その時も会った?

クミー : 浅草にも行って2階席でみたよ。その次のメルパルクにも行った。そこまでかなぁ。85年にニューヨークの友だちに会いに行ったんだけど、少し早ければラモーンズやってたのにって言われたっけ。

ーー来日公演はかなりマメに行ってるね。

クミー : ライヴは見たかったから。

ーーディー・ディーじゃなくCJに変わったラモーンズのイメージは?

クミー : ディーディーは変な形のベース持ったりもうやる気ない感じ見え見えだったのでCJに変わってバンドが明るくなって良かったと思った。違和感もそんなに感じなかったし。

ーークミーさんにとって、77年のジョーイとの交流や、あの時の思い出は初恋みたいな感じ? 

クミー : ああ、あれは初恋かもねぇ。ニューヨークこそ行かなかった(住むという意味で)けど、バンドをやるきっかけになったし、ジョーイはロマンチストな人だから初恋っていう言葉はぴったりだね。

ーーニューヨークっていうキーワードがあって、それがラモーンズやジョーイに惹かれて黄金の77年の思い出が生まれて、クミーさんの気持ちと合体したわけだし。

クミー : そうだよね。その時出来ることをやればいいって思ってたから、あれでいいと思う。

ーー最後にラモーンズで1番好きなアルバムと好きな一曲を教えてください。

クミー : いろいろ聴き返してみて、イイ曲、カッコイイ曲いっぱいあるんだけど、やっぱり本当に短い間ファンレター出して返事が来てた頃の印象もあってセカンド・アルバムが1番好きです。で、地味な曲だけど 「I Remember You」が好きです。「Please Remember Me」ってアンサーソングをハナ歌で作ったくらい(笑) “ Please remember me When you're alone night I love you so much From Tokyo to New York Hello, I send you my love ” っていうのヨ。(笑)


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ジョニー・ディスコ・ビーチ、ライヴ・スケジュール
5月14日(日) 新宿レッドクロス
6月24日(土) 東高円寺UFO CLUB
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インタビュー / yuki kuroyanagi / Ramones Fan Club Japan
取材場所 / 2017年3月、都内カフェ
アートワーク:ヤーボ・ラモーン (東京ラモーンズ)
協力 : もにゃこ(スタッフ)

テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by (c)yuki kuroyanagi & (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN

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