2019年9月15日にジョニーのお墓の前の写真を自分のインスタにアップしていた、RIOT というヘヴィ・メタル・バンドのベーシスト、ドン・ヴァン・スタヴァン(以下、ドニー)のインタビューをお届けします。仕事柄HMバンドを撮影することも多く、来日の際に RAMONES のTシャツを着ているバンドにはよく会います。でも、お墓参りに行くほど好きだったということを、彼のインスタ(ジョニーのお墓前の写真)で知り、これは一度話しを聞きたいと思い、早速メールでコンタクトを試みてみました。ドニーはツアー中にもかかわらず、メールの返事と何枚かの写真を送ってくれ、その中にはジョーイのお墓の写真もあったのでそれも掲載します。80年代のロック・シーンはメタリカやガンズが登場するHM全盛期。NYでもパンクから影響を受けたスラッシュ・メタル・バンド(主にNY周辺のバンド)がデビューした頃なので、ラモーンズの影響を受けたバンドはとても多い。



その80年代のNYを知るドニーから、今回ラモーンズの話が引き出せたのは貴重。あまり知らせていない80年代のラモーンズの様子が見えてきます。ジョーイの住んでいたイースト・ビレッジのアパートから徒歩3分ほどの場所に存在したライヴ・ハウス、Cat Club で、ジョーイは(確か)水曜日にDJを任されていたと聞いたことがあり私も何度か足を運びました。
ラモーンズといえば直ぐにCBGBを浮かべるけれど、NYのライブ・ハウスはCBGBだけではなく、バンドが健康的な生活をリ・スタートした1980年中頃のラモーンズのメンバーはディー・ディー・キングを初め、ジョーイの『SUN CITY』プロジェクトへの参加からもわかるように、個人的な活動も多かった。CBGB以外のライヴ・ハウスで(ソロの)ライヴをやったり飛び入りしたりすることもあった。

ジョーイの自宅から徒歩3分ほどの Cat Club は、どちらかというとヘア・メタル(当時のLAメタル)バンドが多く出演するライブ・ハウスだったので、パンク・シーンが終わっていた80年代中頃にパンク関係者周辺から、このあたりの情報はなかなか聞くこともなかった。でもやっぱりジョーイはとてもローカルな近所のライヴ・ハウスに出没していた。事実をつなげると確信になる。ジョーイは80年代、スラッシュ・メタル・バンドの楽屋によく出没していたし「先輩、アニキ」的な存在だった。今回のドニーの話は、初めてその噂にリアリティを持たせたと同時に、NYと当時のシーンを感じられるやり取りになった。事実をつなげると確信になったことは貴重。少年時代にラモーンズに出会い、今もラモーンズが好きという RIOT のベーシスト、ドニーのメールに感謝したいです。


ーーハリウッドのジョニーのお墓の前で撮ったインスタを見ました。ステージ上ではラモーンズTシャツを着ている姿も見たことがあります。最初の質問はラモーンズを好きになったのはいつですか?

ドニー : 1976年にファースト『ラモーンズの激情』がリリースされた時のことは、よく覚えているんだけど、彼らの楽しいパンク・サウンドに一瞬で恋に落ちたんだ。それ以来ラモーンズはずっと好きだよ。

ーー最初に聴いたアルバムは『ラモーンズの激情』!? あれを当時オンタイムで聴いているんですね ! !

ドニー : だいぶ若い時にラモーンズを聴き始めたよ。多分14歳の時にファースト・アルバムを手に入れた。彼らの曲といつでも変わらない一貫性が大好きだった。ジョーイとジョニーには偉大なパートナーシップがあった。もちろんディーディーともね。ファースト以降、もちろん『ロケット・トゥ・ロシア』や他のアルバムも手に入れた。彼らはパンク・ロックだったけど、そこには素晴らしいメロディ・ラインと歌詞、そしてもちろんジョニーのチェーンソーのようなギターがあった。だからRIOTがハリウッドで演奏する為にLAに居た時、ジョニーやディー・ディーの眠っている Hollywood ForeverCemetery の記念像に表敬訪問したんだ。

ーーラモーンズのライブを見たことがありますか?

ドニー : YES。最初に彼らを見たのは、自分がまだ若かった70年代初期のテキサスだよ。それからMTVで流れていたPVもライブ・ビデオも手に入れて見たよ。1996年にメタリカがヘッドライナーを務めたロラパルーザで、自分も演奏する機会を得たのでその時にラスト・ツアーをしていたラモーンズを見れた。当時 RIOT から離れて、Pitbull Daycare というテクノ・インダストリアル系のバンドに在籍していたんだけど、そのフェスの別のステージで演奏したからその時も見ることはできたんだ。

ーーあなたはニューヨーク出身ですか?

ドニー : RIOT に最初に参加した時は、ニューヨークに10年住んでいたよ。今はテキサスに家を購入したからテキサスにいるけど、RIOT はニューヨーク出身のバンドだし、みんなその辺りに住んでいるので、ニューヨークとテキサスを行き来している。ニューヨークにいる時にはマンハッタンかロングアイランドにあるギタリストのマイクの家に泊めさせてもらっているよ。

ーーあなたが最初にスタートしたバンドは1981年の Blitzkrieg という名前でした。ラモーンズの曲名からバンド名を決めたの?

ドニー : そのバンドは友人のギタリストたちが結成したバンドで僕が名前を付けたわけではないんだ。短い期間だけ活動したバンドだよ。そのバンドはその後にSLAYER と改名したよ。ケリー・キングのバンドとは違うよ。テキサス出身のバンドでレコードを2枚リリースしたけど、パンクよりもパワー・メタルな音だったけど、初期のパンク・バンドからも影響は受けていたね。

ーーRIOTのステージでは、あなたがよくラモーンズのTシャツを着ているのを見かけますが、Motorhead は『R.A.M.O.N.E.S.』という曲を書き、Voivod のメンバーや Overkill もラモーンズが好きで名前や曲にそうした影響が見えます。パンク・バンドと呼ばれるラモーンズはヘヴィ・メタルバンドにも影響を与えていると思いますか?

ドニー : ラモーンズの曲には、耳に心地よい特定のサウンドがあって、かなりのメタル・バンドを含むロック・バンドは影響を受けていると思う。それに彼らの曲は楽しくて、とにかく心地良いんだ。偉大な曲を大きい音で演奏するバンド。そんな感じだ。僕は間違いなく彼らのアグレッシブなギターとジョーイのヴォーカルメロディに確実に影響を受けているよ。

ーーあなたはベーシストですが、ジョニーのギターも好きなの?

ドニー : 僕はベース以外にもギターも弾くから、彼のギター・プレイ(ダウンストローク)も、伝説的なモズライト・ギターを使っていたことも、何もかもがとても個性的だったよ。ジョニーの存在がロック・シーンにもたらしてくれたものに感謝しているよ。だからハリウッドにいる間に彼の記念像に表敬訪問をしたいと思ったし、ディーディーにも感謝したかった。ディー・ディーのお墓は像ではなく墓石だったけど、彼ら二人のために両方のお墓で「Gabba Gabba Hey!」って言ってきたよ。


ーー映画『END OF THE CENTURY』は見ましたか?

ドニー : YES。もちろん『END OF THE CENTURY』も見たし、大好きな『ROCK'N ROLL HIGH SCHOOL』も見てるよ。両方とも大好きな映画だよ。

ーーオリジナル・メンバーに会ったことはありますか?

ドニー:80年代に、ニューヨークにある伝説のライブ・ハウス Cat Club でジョーイに初めて会った。当時、僕はあの辺りに住んでいて、CBSレコードのスタジオ(NYのソーホーにあるレコーディング・スタジオ)で、自分たちのレコーディングをしている時だった。仕事の後にバンドのメンバーと Cat Club へ行きコンサートを見て一杯飲もうということになったんだ。その晩の Cat Club には、ロック・スターがいっぱい来ていた。キッスのエース・フレーリーとかジョーイ・ラモーンとか。ニューヨークにまつわるロック・スターが集まっていて、僕もジョーイと話をするチャンスだと思ったから話しかけてみたんだ。彼は本当にとてもいい人で、楽しい時間を過ごしたよ。それは正確に覚えている、僕のとても良い思い出なんだ。その時以来、彼は僕の名前も覚えてくれて、道であった時に「ヘイ、ドニー」と声をかけてくれてね。僕の名前を覚えてくれていたことにエキサイトしたことを今も覚えているよ。だから僕はニュージャージーにあるジョーイのお墓にも行った。

ーーどういう気分の時にラモーンズの曲を聴きたいですか?

ドニー : 僕はラモーンズの音楽は、常に聴いていたいと思っているよ。自分の車とスマホにはいつもラモーンズがプレイ・リストに入っている。彼らはパンク・ロックというジャンルを始め、ヘヴィ・メタルというジャンルのためにも道を切り開いてきたと思うんだ。誰だって良い曲は好きだし、ラモーンズは心地良い曲を作るのがとても上手かった。彼らはあの頃、停滞していた音楽シーンの中でとても個性的で、他にはないサウンドを持っていたんだ。彼らの曲には僕はかなり励まされたし、エネルギーをもらったよ。僕の毒まみれな心の中には、ラモーンズの音楽がいつもあるよ。

ーーお気に入りの曲やカバーしたい曲を教えてください。

ドニー : 好きな曲はいっぱいあるから選ぶのが難しいね。実は僕は GABBA GABBA SABBA というラモーンズとブラックサバスの音楽を演奏するトリビュートバンドで演奏しているんだ。とても楽しいバンドだよ。『KKK Took My Baby Away』『53rd and 3rd』『Now I Wanna Sniff Some Glue』『Beat On The Brat』、結構ほとんどの曲を演奏しているよ(笑)。でも僕の一番好きな曲は『I Just Want To Have Something To Do』。ありがとう。君たちのために僕の持っている写真を送っておくよ。


RIOT INFORMATION : http://www.areyoureadytoriot.com



P.S. このインタビューをまとめてから、当時の JOEY が THE CAT CLUB にいる様子は残ってないのかなぁとググったら…ありました〜! そして見て納得。当時ジョーイがかなり入れ込んでいた女性4人組のメタル・バイカー姉ちゃん CYCLE SLUTS From HELL のメンバーと一緒の絵が ! ! これぞ1980年代後期のジョーイ。ジョーイの登場は10分59秒あたりからです。
当時、ジョーイは CYCLE SLUTS From HELL のプロデュースもやっていたので、彼女たちの映像を探すともっと見つかるかも?(笑)











メール・インタビュー / yuki kuroyanagi / Ramones Fan Club Japan
アートワーク:ヤーボ・ラモーン (東京ラモーンズ・FCスタッフ)
協力 : もにゃこ(スタッフ)
翻訳 : SHOKAI KU.
写真提供 : ドン・ヴァン・スタヴァン(RIOT)
テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN

ALL TEXT by ©yuki kuroyanagi ©RAMONES FAN CLUB JAPAN



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