ラモーンズが現役で活動する1990年代、ジョニーから「日本でファンクラブをやれ!」という運命の特命を受け、我らのYUKI会長が立ち上げたRAMONES FANCLUB JAPAN!
まだインターネットもSNSも普及しておらず、勿論スマホなんて無かった時代に制作されたオール・ラモーンズ・ファンジンがこの『LOCO PRESS』。
前号の『LOCO PRESS vol.3 』(1993年4月発行)では、ラモーンズの活動停止がまだまだ噂でしかなかったけれど、徐々に ”解散” や “活動停止” という言葉が多く聞こえるようになり、遂にジョーイがアメリカのMTVで「ラモーンズとしての活動を休止する」と衝撃の発表をした時期でした。
更に新作『アディオス・アミーゴス』もリリースされ、ラモーンズ・ファンにとっては怒涛の時期となった1995年7月に届いた『LOCO PRESS vol.4』をYUKI会長の貴重な裏話を交えて紹介します!










【コンテンツ1 : 最新情報】

当時のラモーンズの活動状況を振り返ると、1993年に『アシッド・イータース』をリリース、1994年には6度目の来日公演を果たし、川崎クラブチッタを3日間連続ソールド・アウト。
日本でも人気が出てきて、世界中をバリバリにツアーで回っている状況だから、当時のファンはラモーンズが解散する、活動を休止するなんて事は想像すらしていなく、勝手に「不変のスタイル=永遠に続く」といったイメージを持っていました。
1995年4月に届いた『LOCO PRESS vol3』の内容は、あくまで “噂” の情報だったのに、6月に届いた『LOCO TIMES』(LOCO PRESSとは別の定期的に送付されていたNEWSペーパー)』で遂に正式に「ラモーンズ解散 ! 」と公表され衝撃が...。当時のことをYUKI会長に語ってもらいましょう。





ーーこの文字を見た時はさすがにファンはショックでしたし、YUKI会長もいよいよ正式に発表せねばという気持ちだったと思うのですが、当時のファンの受け止め方はどんな感じでしたか?

YUKI : ファンはショック半分と「本当か?」と疑心半分で複雑な気持ちだったと思う。バンドが終わる時は解散だけだとおもっていたから引退って何? って感じ。宣言して終わるバンドもいなかったから、みんなどうしていいかわからないという感じだったね。それを伝える私自身も。
でも「引退」という考え方は、いかにもジョニーらしいというか野球選手の終わり方と同じという捉え方なんだなぁと私は理解はできた。


ーー解散の話ばかりでドーンと落ちている中、『LOCOPRESS』のNEWSでは嬉しいネタが盛りだくさん ! 日本限定のCDシングル(当持は主流の縦長8センチミニディスク)で『大人になんかなるものか』のリリースが決定。当時は海外の PUNK BANDがCDシングルを国内盤でリリースするなんて珍しかったと思うのですが、どんな経緯でリリースが決まったか覚えていますか?

YUKI : 26年前のことだよね~。時間の経過に驚くよ。あれはかっこよかったし曲のセレクトも最高で特別感があった。ラモーンズのワーナー以降の作品は東芝EMIという東京にあったレコード会社からリリースされたんだけど、当時の担当者が「ラモーンズが好き」だったからリレーション・シップがバンドとも凄くうまく行って、リリースにこぎ着けたんだよ。





もちろん本国(この頃はイギリス)の許可ありきだけど、ジョニーが日本のマーケットを良く理解していたので、日本の企画はジョニーがOKすれば物事は進んでリリース出来たんだと思う。
私はレコード会社の担当者から「ジョニーに聞いてみて欲しいんだけど...」と頼まれ、速達(手紙)を出すこともあった。そうすると一週間後にニューヨークのレーベルから直接日本のレコード会社に連絡が来てね。日本の担当者+バンド(ジョニー)+もしかするとあれこれNYに伝達している私の関係が成立していたってことじゃないかな。


ーー物凄いゴールデン・トライアングルでリリースに繋がったんですねー!裏ジャケの写真YUKI会長撮影ですもんね!あの縦長パッケージも今となってはレアで懐かしいです。
この日本独占発売のシングルは海外のマニアも欲しがってましたね。他にも「ジョニーは怒った!フロリダ・ホテル事件」という超気になるタイトルも。ホテル側のミスでWブッキングが発覚しあわや野宿かというツアー中に起こった騒動も掲載されていて、絶対に音楽雑誌には載らないレア情報がてんこ盛りで楽しみでした ! !



【コンテンツ2 : メンバー自身が語る新作
『アディオス・アミーゴス』とラモーンズの今後】


1995年7月12日に発売された新作『アディオス・アミーゴス』! ! これが本当にラストなのか? と疑う位に素晴らしい内容。『LOCO PRESS』でも大々的に取り上げ、ジョニー、ジョーイ、CJ、マーキー、のメンバー自身が語るコメント特集を6ページに渡り掲載!





『THE CRUSHER』
「最初にこの曲を聴いた時は、別に気にもとめなかったけどジョニーとダニエル(・レイ)に「本当にイイ曲だから、とにかくお前が思うように歌ってみろ」と説得され、全く彼らの言う通りだったよ」by CJ

『I LOVE YOU!』
「ラモーンズを始める前、俺はニューヨーク・ドールズにハマっていた。俺たちはこの曲は上手く演れないだろうと思っていたから、こんな風に仕上がって満足している。しかし良くできた、自分でも驚いたね』by ジョニー

メンバー自身のコメントなんて、メジャー音楽雑誌ではなかなか触れることができなかった時代なので、読んだ瞬間「うお~ ! ちゃんとコメント言ってる~」と妙に興奮し、アルバムを聞きながら釘付けで読破しました。





日本版『アディオス・アミーゴス』のライナーもYUKI会長(当時は社長と呼ばれていた・笑)によるものでしたが、『LOCO PRESS』ではライナーには載せられないストレートなYUKI会長の想いを『第4回:対談/社長が語る『さらば友よ』(MUZIC ZONE vol.4)で対談形式でたっぷりと掲載。読み終わるのが早いか、アルバムを聞き終わるのが早いか?の35分32秒の真剣勝負(笑)。
各曲のメンバーによる解説から、曲提供として参加したDEE DEEについて等々、本当に読み応えタップリでこのアルバムをさらに深くのめり込ませる内容でした。

ーーYUKI会長は一番最初にアルバムを聞いた時はどんな印象でしたか?

YUKI : ラモーンズっぽくて良かったから落ち込んだ。「なんだよ~ぜんぜんいけるじゃん !?」というムードがこの新作から伝わってきて。頻繁に来日していた頃だから、(この曲はやるだろうなぁ)という様子まで浮かんだ。
言葉にすると「やるせない」って感じが合うんじゃないかなぁ。ジョニーは鬼軍曹だからどうせ言ってもダメだと思って、他のメンバーに「本当に辞めるの? ジョニーをどうにか止めて」みたいなことをチクチク言った。そうするとマーキーもジョーイも顔が曇って「もう無理だよ」みたいな表情していたよ。


ーー直接メンバーに「ジョニーを止めて」と言っちゃうユキ会長も凄い(笑)。活動停止についてCJとは何か話しましたか?CJはアルバムでも曲が採用されたりラモーンズのメンバーとして皆に認められて、これからだという思いが一番強かったと思うのですが。

YUKI : もちろん話したよ。引退については一番話しやすかった相手だったけど、CJの立場からしたら、反対するも何も、3人に対しては従わなきゃならない。どうこうは言える立場ではないでしょう? そこがオリジナル・メンバーじゃない立場の弱さというか。バンドのパワー・バランスで。
でも、CJは引退が決まって少しほっとしていた部分も感じたよ。「次はロスグサノスを応援してね」的な感じで次にもう向かっていたけど「その前に少し休みたい」と言ってたから。


ーーアルバムを聞いた時は活動停止の事実は知っていましたか?

YUKI : 知ってました。

ーーアルバムジャケットを初めて見た時の印象が対談で掲載されているのですが「ダサイ...カッコ悪すぎる。こんなイラストでラスト・アルバムなんて納得いかない」とバッシバシに斬りまくっていましたが、いま見るとどうですか?

YUKI : 26年経過したら味が出たりする作品もあるじゃない? でも出なかった。今見ても全然良くないので、変わらない感情もあるんだな~って思う(笑)。あとラモーンズってPVもイイのがほとんどないよね? 『スパイダーマン』は好きだけど。



【コンテンツ3 : 噂の真相!?】

「噂の真相!?」ではイギリスの雑誌『KERRANG』や『ROLLING STONE』に掲載された“解散"に関する記事を紹介。当時、日本では洋楽雑誌『CROSSBEAT』や『DOLL』くらいでしかインタビュー記事は掲載されなかったので、英語が読めない日本のファンには相当ありがたいファンクラブならではの企画でした。





しかも、解散に関する思いはメンバーによって異なっていたので、ラモーンズの意見というよりも「ジョーイの発言」「ジョニーの発言」と区別して記載されているところが重要なポイントで、ジョニーの「俺はただバンドが良い状態でいる間に辞めたい」という思いを初めて知ったのもこの『LOCO PRESS』でした。活動停止の思いがブレずに一環しているところがジョニーらしかった。

ーー海外雑誌の記事内容やインタビュー内容を紹介してくれるのがファンは楽しみだったのですが、掲載情報はどのように入手していたのですか?

YUKI : もともと私は出版社で働いていて、90年代もカメラマンとして雑誌のお仕事で出版社に出入りしてたので、ニュース担当者と仲良くしておけば、ラモーンズのネタが出た時に直ぐに記事をコピーしてくれたり電話がかかってきたりした。ありがたい話。
レコード屋や本屋に洋書を探しに行かなくてもニュースは割と簡単に手に入ったよ。でもそれよりもジョニーからの手紙にかいてある内容が一番重要なニュース・ソースだよね。嘘がないわけだから。


ーージョニーから直接情報が貰えるなんて改めて凄いことですよねー! FC JAPANがメンバー公認だからこそ色々な記事や情報が掲載されていたし。海外のメンバーは海外のファンクラブもバックアップしてたんですか? 当時は海外のファンクラブとの交流はありましたか?

YUKI : メンバーが直接ファンクラブの運営に関わっていたのは日本だけ。というかもうジョニー個人。イギリスのファンクラブはジョーイの記事が9割だったから、他の3人は文句を言ってたし(苦笑)。「イギリスのファンジンみたいになるなよ」とマーキーにチクチク言われたこともある。
当時スタッフをやっていたグーフィーというスタッフはイタリアやイギリスのファンクラブとも手紙でやりとりしていたけど、私はあまりタッチしていなかった。1、2度、お互いの会報を送り合ったりしたけれどあんまりおもしろくないなと思っちゃって...。
内容は今でいうと好きでそのバンドのブログを書いたり研究したりして発言している感じ? それを面白いと思わなかったのは、96年のラモーンズは現役だったからだと思う。
あと英語ばかりの会報を読むのが面倒くさかった。しかし彼らは今どうしているんだろう? アルゼンチンでラモーンズの本を書いたりコンピCDを作ったマルコという男とは今も繋がっているけど他の名前はFacebookでもヒットしなかった。


ーー交流手段はやっばり手紙でした?

YUKI : そう。手紙とファックスと電話の時代だからねぇ。

ーー今の配信もモチロン便利ですけど、手紙は今思えば"待つ“楽しさがありましたね。郵送で郵便受けに『LOCOPRESS』がドーンと届いた時はやっぱり嬉しかったです。

YUKI : それは2021年の今もファンからそう言われる。自宅のポストに公共料金の紙しか届かない今、私は「手書きイズ・アチチュード」っていう古いタイプなので、入会の封筒も手書き。通販じゃなく人の手を加えたものが届く楽しみがあるんじゃないかな。
それとファンからのメッセージや返事も切手を貼った手紙で来ることが、このファンクラブはよくあるよ。それは私も嬉しい。封筒の手紙で来た質問には手紙やハガキで返信してます。私がジョニーと文通していたことも影響しているかなと思うから。30周年に会員全員に手紙でも書こうかな(笑)。



【コンテンツ4: I'M RAMONES MANIA vol.4
DJ音楽評論家/大貫憲章】


ラモーンズ好きな人を紹介する名物コーナー「I'M RAMONES MANIA」では、LONDON NITEやラジオで世代を越えて素晴らしい音楽を配信し続ける御代・大貫憲章氏が登場!YUKI会長との濃厚すぎる対談がギッシリ掲載されています。





大貫さんがリリース当時、初めてラモーンズを聴いた印象が「ビーチ・ボーイズを電ノコでやってるみたい」という納得のコメントが素晴らしい ! ! 他にもロンドン・パンクとの相違点や活動停止に対する思いなど、読み応えタップリの企画でした。これは是非、RFCJ YOUTUBEチャンネルで対談して欲しいです(個人的希望)



【コンテンツ5 : LETTERS & INFORMATION】

『LOCO PRESS』もvol.4にもなると会員も段々と増えてきた時期で、会員から寄せられた手紙が掲載されるコーナーも『LOCO PRESS』の楽しみの1つでした。
届いた内容には「ラモーンズ情報が今までは入手できなかったのでラモーンズFC JAPANの存在は砂漠の中のオアシスみたい」と嬉しい一言があったり、激ウマの手書きイラストも届いたり、中にはオランダからラモーンズTシャツを着た幼稚園たちと先生を紹介する写真も届いたり、今まで日本には無かったファン同士の交流場となっていました。





当時の会員がFC JAPANに一番望んでいたのがやっばり「情報」だったから、ALLラモーンズのファンジン『LOCO PRESS』は本当に有り難かったです。会員からの手紙もこの頃は結構届いていたのですか?






YUKI : 会員からの手紙やハガキはたくさん届いてました。手紙だけじゃなく「スタッフの皆さんで食べてください」と、お菓子やコーヒーの差し入れまで頂いてました。ありがたかった。
ファンからのイラストや手紙や声はダイレクトだったから、時々訳してジョニーにも送ったよ。こうしたバンドとの交流とファンが集まれる場所=ファンクラブ活動の原型。今もRFCJはチケットの優先予約の場ではなくディープなコミュニティです。


ーーおぉー!ジョニーにも手紙を見てもらった事があったんですね! その会員は超ラッキーだ。FC JAPANの会員についてジョニーは何か言ってましたか? メンバーには『LOCOPRESS』は渡していたのですか? 感想言ってましたか?

YUKI : ちゃんと4通、アメリカに送ってたよ。送った時々の感想は覚えてないなあ。来日した時は手渡したので、その時は結構みんな日本語なのに1ページ、1ページめくって見てくれてた。「これなんて書いてあるの?」と聞かれながら。
活動していること、ラモーンズの為に時間を割いていることに意義があるというか、「ラモーンズのサポーター」を大事にしてくれていると感じてた。そりゃそうだよね。皆んなに「GOOD JOB」とは言ってもらえた。ジョニー以外には。
ジョニーからは私はいつも「当然だろう、俺のファンが作ってるんだから」みたいなムードをちょいちょい感じいたかなぁ(笑)。2000回記念のフラッグを作った時も、ラストツアーのプログラムを作った時も。「俺のファンはこれくらいやれるんだ」とジョニー自身が自慢しているというか喜んでいる感じはあった。これ意味伝わってるかな?


ーーそれがジョニーらしいところでありユキ会長を信頼してるからこそ任せてたということですね。だって、もし不満があったら絶対にストレートに言ってますよね?

YUKI : 「私が出来る事はここまで」というのは、示していたし運営していること自体が彼の望みだったからそれを続けているので喜んでいたし、すごく協力的だった。不満はなかったと思う。今、お化けで出てきても「未だにやっている」とはね返せるしね(笑)。冗談はともかく、やるだろうという頑固な人選をジョニーはしたということだと思う。

ーーYUKI会長ありがとうございました。次回は1995年10月に届いた『LOCO PRESS vol.5』を紹介します。この内容がさらにスゴい!活動停止でヘコんでた日本のファンに今度は来日決定のニュース!さらにジョニーの独占オリジナル・インタビューを掲載。さらに、さらに、ファンクラブの会員、全員にメンバーのサインをプレゼントするという怒涛の狂喜企画を振り返ります。お楽しみに!


<TEXT : 堀内シンイチロウ>




企画・テキスト / 堀内シンイチロウ (RFCJ スタッフ)
編集 / Yuki Kuroyanagi (RFCJ会長)
アート・ワーク / ヤーボ・ラモーン (RFCJスタッフ)
校正 / もにゃこ (RFCJスタッフ)

記事及び写真の無断転載を固くお断りいたします。


 














 



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