9月04日 名古屋 クラブ・クアトロ
9月05日 川崎 クラブ・チッタ
9月06日 川崎 クラブ・チッタ
9月08日 名古屋 クラブ・クアトロ
9月09日 名古屋 クラブ・クアトロ
9月10日 大阪 モーダ・ホール
9月11日 大阪 モーダ・ホール
9月13日 川崎 クラブ・チッタ
9月14日 川崎 クラブ・チッタ
9月15日 川崎 クラブ・チッタ
9月16日 川崎 クラブ・チッタ

追加公演が印刷される前の
最初の来日告知フライヤー

ラモーンズの中心的ソング・ライターでオリジナル・ベーシストのDEE DEE RAMONEが1989年に脱退。バンドはオーディションを行い、新人ベーシストCJ RAMONEを迎えラモーンズ3度目の来日を行う。1988年からJOHNNY RAMONEとの文通がスタートし、日本の状況を伝えることが任務になっていた私は、会場やキャパシティ、レコードの売り上げ、掲載された記事についてを克明に伝えた。1990年の日本公演は、おそらくこうしたデータを元に当時の他のバンドの来日公演と比べても少し長めツアーが組まれたと思う。東京公演は最初に5回公演が予定されたが、チケットが売り切れたことを伝えた数日後には追加公演が決まった。(追加公演がどの日だったのかは記憶が曖昧です)

写真提供 : 中嶌英雄 <9/5 チッタ>
スタンディング・ショウの時代が到来し、ラモーンズは東京の会場を川崎クラブ・チッタをメインに日本ツアーを組んだ。90分弱のほぼノンストップ・ショウはSE『続・夕陽のガンマン』 が流れる前からHEY HO LET’S GOコールが始まり、1曲目の『DURANGO95』から熱気に包まれステージ・ダイブがスタートするというチッタのスタンディング・ライブの中でも1、2を争う盛り上がりだった。

写真提供 : 中嶌英雄 <9/5 チッタ>
1990年のツアーは1988年の日本公演が伏線となり、2年前に見られなかったロック・ファンがその噂にたがわぬショウや、新しいラモーンズを見たいと押し寄せた。1988年と明らかに違った出来事は東京公演では、ショウが終わると汗だくの観客達はすぐに会場のチッタの楽屋入り口に押し掛け、メンバーの出待ちをしてサインを求めた。楽屋入り口でHEY HO LET’S GOコールが起こるなど、ファンの熱狂振りは日を追うごとに加熱。1988年の公演から2年でラモーンズをとりまく日本の状況が変わったことを表す現象だった。

ツアー・パンフ<表紙>

ツアー・パンフレット見開き <見開くと左右1m以上のサイズに>
長いツアーの合間に休日が1日あり、JOEYはクラブでDJイベントやCJとANTHRAXの来日公演を見に行った。JOHNNYは東京ドームで野球観戦に行った。MARKYは基本ホテルの部屋からあまり出ない。しかしメンバーは各々下北沢や新宿西口のレコード店を散策し、よりローカルな日本ライフを味わった。ライヴ後に新宿歌舞伎町のゲーム・センターへ行くのが日課になっていったのも1990年のツアーから。この年ラモーンズは東京は品川のホテルに宿泊していたが、JOHNNYの指示で1993年のツアーから東京の滞在は新宿西口のホテルが宿泊先になった。

ツアー日程表
テキスト&写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan ©RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by ©yuki kuroyanagi & ©RAMONES FAN CLUB JAPAN
記事及び写真の無断転載を固くお断りいたします。