大切なベースを失うという予想外のアクシデントが起こってしまった今回の来日公演。このインタビューは事件が起きる前におこなったものだけど、振り返ってみれば、当の本人はこのネガティブな事件に折れることなくインタビューで話してくれている通り、「使命」を果たしラモーンズ・ソングの素晴らしさやライヴの楽しさをみせてくれた3日間だったと思う。オリジナル・メンバー亡き今こそ「自分がやらねば」という決意とは何かを語ってくれた。

インタビュアー: yuki kuroyanagi(カイチョー・ユキ)
@高円寺HIGHにて <2010/2/18>




●久しぶりの日本はどうですか?

CJ:何度来ても毎回日本に来るのは嬉しいよ。もちろんどの国でもラモーンズはリスベクトされていると感じるんだけど、日本はそのリスベクトのしかたも深くて特別なんだ。

●昨日のショウはどうでしたか?

CJ:ちょうど去年が俺がラモーンズに入って20年目という節目の年だったんだけど、ラモーンズが終わって以降、ラモーンズの曲をプレイした中では、昨夜のライヴはベスト・ショウのひとつだったと思うよ。それに今はブラントやダニエルと、いいケミストリーも生まれているので、そういう点でも自分自身が今一番楽しんでプレイしているんじゃないかな。

●セット・リストはどうやって決めたの?

CJ:ラモーンズ時代に、ジョニーからダメだと言われて出来なかった「I wanna be your boyfriend」や、自分が加入した頃には演奏していなかった時代の曲を選びながらみんなが楽しめる曲を中心にしてみたんだ。

●バッド・チョッパーの曲ではなく、ラモーンズの曲をやろうと決めたのはどうしてですか?

CJ:バッド・チョッパーはバンドとして空中分解してしまったんだ。メンバーそれぞれがやりたい方向が異なってしまい、結局そのままさ。自分の中ではもう終わったプロジェクトなんだ。年内には自分のソロ名義での曲も作ろうと思っているんだけど、それと同時進行でラモーンズ・ソングを演奏していくことはキープしていこうと思っている。



●前回の来日からの数年間どうしていたのかを聞かせてください。

CJ:ずっと父親をやっていたんだよ。自分の時間がある時は曲を書いたり今本の執筆もやっているんだけど、書くことはプロじゃはないから、なかなか思うようにすすまなくて大変だよ。ラモーンズ時代のことだけではなく、自分自身のことを中心に書いている。海軍にいたときのこととか、子供時代のこととか。ティーン・エイジャーの頃の話は、あまりに酷い悪ガキで、この本を自分の子供に読んでほしくないなぁなんて思いながら書いてる(苦笑)。ラモーンズ時代のことは最近ようやく加入した頃に到達したよ。

●まだまだ時間がかかりそうですね。ラモーンズ時代のように、久しぶりに南米や日本をツアーした感想は? ツアーに飢えていた?

CJ:そうだね。ある意味ツアーにはとても飢えていたと思う。自分にとってツアーで大事なのはまずファンとの交流なんだ。そういう意味でもツアーが恋しかったよ。その次は、パフォーマンスでステージに立ってプレイすること。ツアーに出ていない時の自分は父親で、いつも子供と向き合っている生活だから、普段の生活の中でフラストレーションがたまった時にステージに立つとそこで自分のエモーショナルな部分を解放できる。ツアーに出ていない時はバイクに乗って遠出をしたりもするんだけど、その解放感とはまったく違うものだからね。

●あれから15年以上経ち、ラモーンズ時代と違って、ツアー中に女の子と遊ぶのもしんどいでしょう?

CJ: そうだな(笑)、まったく違うよ。加入当時はすべてが新しくて、しかも22歳だったから行くところもやることも何もかもが新鮮で経験していく時代だった。今は成長して理解してツアーをしているから、ツアーのスタイルもぜんぜん違う。女の子達にも会うけれど、当時のまんまじゃないよ。そして今のツアー・スタイルもこれはこれでとても楽しんでるよ。



●ダニエルやブラントとバンドを組んだいきさつを教えてください。

CJ:まず最初はマーキーに連絡をしたんだ。一緒にラモーンズの曲をプレイしないか?ってね。でも彼からはいい返事が来なかった。2年前くらいのことだよ。それで次の選択としてダニエルとブラントを選んだ。ダニエルはラモーンズのメンバーとも親しかったし、アルバムもプロデュースしていて、ラモーンズを知り尽くしている。彼を選ぶのは簡単なことだったよ。今回のプロジェクトはラモーンズをリスベクトし、ちゃんと理解している人間とやりたかったんだ。だから誰でもいいわけではなかった。それでラモーンズを良く知っているダニエルと組んだわけさ。ブラントとは90年代の中頃からの知り合いで彼もとてもラモーンズを好きでバンドをリスぺクトしているのを知っていた。それでいつか一緒に何かをやりたいねというのを前から話していたのが、ようやく今回実現したんだ。ブラントはトミー時代のプレイをよく理解していたし一緒にプレイしていて楽しいよ。ファンはもちろんマーキーと俺が一緒プレイするのをみたいと思うし、それは分かっている。でも今回はうまく行かなかったんだ。

●2004年にLAで行なわれた、RAMONES 30thアニバーサリーでダニエルと共演したのを見ましたが、あれはこのバンドをスタートするきっかけになっていますか?

CJ:うーん、必ずしもそうではなかった。ダニエルはプロデューサーでジョニーのギター・サウンドを理解していたし、ステージ上で聴くダニエルのギターや音は、俺にはジョニーのサウンドを思い出させるものだった。このプロジェクトはラモーンズへのリスベクトや愛なしでは成り立たないと思っていたし、俺はジョニー、ジョーイ、ディー・ディーへの敬意を持ちながらプレイしたかった。ツアーで金を儲ける為のプレイとは違うんだ。それが何よりもこのバンドをスタートさせる俺にとって最も大事な理由だった。それなしで俺がツアーしたらきっと今頃ジョニーだって怒っていただろう。ジョニーやジョーイがいなければ、ラモーンズじゃないのは誰でも分かっているさ。でもラモーンズ解散後、映画や本、いろんな形でラモーンズのネガティヴな場面ばかりが取り上げられた。ラモーンズがなぜ有名になってみんなのリスベクトを得ることができたのかは、メンバーがガールフレンドを取り合ったとか、メンバー間の確執とかそんなネガティブなことじゃない。最高の曲があったからなんだ。それを生きている自分が伝えなきゃいけないと思ってこうしてやっているんだ。



●ラモーンズの時代と違い、メンバーのダニエルやブラントが音楽的な好みやジェネレーションが近いけど、それは演奏をする上でスムーズにいった?

CJ:うん、そうだね。ダニエルと俺は音楽の話をするとかなり聴いてきた作品が同じで、好きになったバンドも近いんだ。だからサウンド・チェックでもブラック・サバスをやろうと言えばすぐにできるし、イギー&ストゥージーズみたいな音もすぐに出せる。その辺のフィーリングが近いのとスムーズに好くし、楽しいよ。ティーンエイジャーの頃、俺の住んでいたエリアの学校ではパンク・バンドがほとんどいなくて、へヴィ・メタルやスラッシュ・メタルのバンドの方が多かった。パンクは学校全体で2バンドくらいしかいなかった。俺はベースを弾いていたけど、その頃は弾ければどっちでも良かったんだ。それはたぶん家庭環境が影響しているのかもしれない。父親はカントリーを聴いていて、母親はクラッシックを聴いていて、なんでもありみたいな状況で育ったから、自分も音楽はなんでも聴いていた。だから、パンクとへヴィ・メタルの両方を知っている世代という点でもいい時代に音楽をきけたと思うよ。

●ベースを弾きながら全曲歌うのは大変じゃないですか?

CJ:とても大変だよ。自分にとってマイクの前にずっと立ったまま歌うのはストレスでもあるよ。でもそれは歌うのが嫌だって言うのではないんだ。俺はもっと動き回ってアグレッシヴにベースを弾きたいタイプだからそれができないのがストレスに感じる。本当はシンガーを入れたいと思うよ、ファンがどう思うかわからないけど。でもジョーイ風のシンガーを捜すのは大変だし、それだったら自分が歌った方がいいんじゃないかと思っているんだけど、歌うのと弾くのは大変だというのが分かったよ。モーターヘッドのレミーは凄いと思うよ。



●ラモーンズ時代に書いた曲で採用されなかった未発表曲がありますよね? それはバッド・チョッパーでプレイしてますか?

CJ:ああ、している。ほとんどの曲はお蔵入りになったから。そのうちの何曲かはバッド・チョッパーのCDに入ってる曲。あの曲をラモーンズでやれれば良かったのにって思うよ。「アディオス・アミーゴス」は凄く好きなアルバムじゃないんだけど、あの中に自分が作った曲が入ったらもっと違ったアルバムになったとは思うよ。

●ラモーンズ時代に「ジャパン・ツアー」と言われて一番印象に残っていることはなんですか?

CJ:何もかも、全てというくらい日本で経験したことは全部印象的だったよ。とにかく日本はどこの国とも違うんだ。他の国といえば、言葉も含め、なんとなくアメリカナイズされていて、アメリカとまったく違う感覚を味わうことは実はできない。でも日本はそれを味わえる場所だった。日本のファンは凄く親切で常に相手をリスベクトしている。プレゼントをくれたり、節度をもって接してくれる。国中どこの場所も安全だしね。南米なんてファンだけじゃなく本当に危険な場所もあり外に出ることはおろか、命に関わるくらい危険という場所もある。それと物理的に言っても他の国は移動に時間を取られてしまい観光をする時間なんてないのが当たり前なんだけど、日本の場合は新幹線もあるから、移動に時間を取られて終わってしまうこともない。いろんな場所につれていってくれる友達もいるし、観光や買い物にも行ける。とにかく快適という言葉が一番あてはまるツアーができるんだよ。言葉も文化もまったく違う国なのに、本当にストレスがない唯一の国なんだ。


ジュースを固めて虫をつくるという謎のジェリー・トイ。
かなり興味津々→お買いあげ(笑)



子供へのおみやげをゲットしお父さん満足そう。
(というか電話で「日本のおみやげ買った?」といわれちゃったそう)

●2010年の今、ジョーイとジョニーについて最も強く残っている思い出を教えてください。


CJ:今、彼らのことを思い出す時、ツアー中やバンド内で起こった小さいことはもう大したことではないんだ。バンドが解散した当時は、俺はその事実を認めるためにジョーイやジョニーのことを会社の上司のように思うようにしていたよ。上司が決めたんだから会社は終わるんだという風にね。あれは自分で決められることじゃなかったから。そういう風に考えることでこの事実を認めて理解できるようになった。ただ、それから時間が経つにつれ、ジョーイやジョニーは普通の友だちのように思えてきた。ジョニーに関しては父親のような存在だったけど、だからこそ父親に反発したり父親に認められたい息子のような態度で接していたような気がするよ。ユキは側で見ていたからなんとなく分かるだろう?

●はい。ジョニーはCJに対してはあえてそういう父親的な振る舞いをしていたように思うし、CJに対しては特に厳しかったと思います。もしCJが他のバンドのラモーンズ・ファンのベーシストだったらジョニーはもっと違った態度でフレンドリーに接し、友だちのような付き合いも出来たんだろうなぁと思う。90年の来日ではライヴ後の「今日のショウはどうだった?」のおきまり質問のあとに、「CJはどうだ? あいつは良いだろう?」という質問が中盤から追加されるようになっていたしね。私はそのセリフはジョニー自身が、自分の目に間違いはなかったんだということを確信しているように映っていたけれど、今思うとまるで父親みたいだな、とも思える。しかも子供の前では誉めないタイプの父親。本当は自分の子供は凄いだろ?と思っているのに、本人の前では絶対に言わないタイプの。

CJ:(頷きながら)ジョニーは論理的な人で何かをやろうとしていること、やることをきっちり考えて実現していくタイプだったな。話していくうちにジョニーとは意外と育ってきた過程や経験に共通点も多かったのを知ったんだ。オーディションで初めて会った時から一緒にやるならCJだな、と思っていたとあとで言ってたけれど、自分はあの時は音を出しに行っただけだったのに、何となく自分に共感する部分を見いだしてくれたのかな、と思って嬉しかったんだ。当時はそれも分かんなくて、なぜ俺なのか不思議でもあったけど。


明治神宮にいきました。

●ところで、私と最初に会ったのはどこだか覚えていますか? 1990年に成田空港です。私は成田であなたの差し出した握手を拒否してしまうんだけど、これを覚えてますか?


CJ:最初にあったのはホテルのロビーだと思ってたよ。でもその反応は当時ぜんぜん珍しなくて、あの頃はよくある反応だった。オールド・ファンからすれば、当然なんだ。俺だってディー・ディーが辞めてしまったっていうニュースは相当ショックだったからね。そんなポジションに自分が入るんだ。どういう反応が来るかはある程度はわかっていたよ。ユキの反応はまだかわいいもんで、加入後、初のイギリス・ツアーなんて、コインを持った手で殴られたり、唾を吐かれたり、ビール瓶で襲いかかってきたり、どこへ行ってもそんな反応だったよ。でもそれは俺にとっての洗礼というか、ここを通過することで認めてもらえるんじゃないかと思って甘んじて、受け入れる覚悟はしていたよ。

●その洗礼を受けたイギリス・ツアー後、ジョニーからの手紙にはしつこいくらい「新しいベーシストはとてもいい奴だからおまえも絶対に気に入る」という内容が書いてありました。これは裏を返すと私のようなオールド・ファンが、まだ新入りを認めない可能性があると分かったから、先手をうってのアプローチだと私は思っていました。私も予定通りの拒否反応をしてしまったし。

CJ:うん、そうだな。でも俺は軍隊にいたからそこでも同じような経験があった。軍隊っていうのは配属された部署の上司が人間的に嫌な奴でもその階級や立場に対してのリスベクトを持って接し受け入れなければならないんだ。どんなに嫌な奴でもね。そしてそいつは新入りのことなんかまったく認めてない。俺がどれだけ仕事が出来る奴なのかも最初のうちは分からないし、当然キャリアもない。だからしばらくは絶えるしかないんだよ。でも日々接して相手を知り、自分の実力を知らせることで、だんだんと相手も自分の事を認めてくれるようになる。そういう積み重ねの日々が、その人本人へのリスベクトに変わっていく。それと同じようなことだと思うんだ。だから自分があのラモーンズに加入しました。すぐにみんなが自分を受け入れてくれました、なんて構図があるとは思っていなかったよ。ラモーンズに入った俺が凄いんじゃなくて、毎日毎日いいパフォーマンスを見せてファンが認めてくれてようやく一員になれるというか、キャリアを積んでいつか認められるだろうと思っていた。


あれだけラモーンズで来日していたけれど、こういう日本的観光地は始めて。
ブラントも初参拝。

●ジョーイもジョニーも亡くなった今、残されたあなたやマーキーがラモーンズを伝えていく立場になりました。ラモーンズ時代「ラモーンズはジョーイやジョニーがメインで自分はラモーンとして認めらていないんじゃないか…」と発言していた立場のあなたがこの役を受け継いでいます。3人がいない今、CJ ラモーンとしてのあなたの役目はなんだと思いますか?


CJ:(大きな溜め息の後、上を向きながら)、そうだなあ…。3人がいってしまったあと、特にジョニーが亡くなったあと、誰かが俺に言ったんだ。おまえはラモーンズの思い出や歴史を伝えていくことが出来る、唯一の生きている人間なんだって。だからラモーンズの良さを伝えていかなきゃダメなんだってね。 俺とダニエルとブラントじゃラモーンズには見えない。でもラモーンズのスピリットは十分理解し、受け継いでラモーンズの曲をプレイしている。今はそうすることがCJ ラモーンとしての自分の役目だと思うよ。

●ジョニーから最後に「おまえはよくやった」と言われた時、どんな気持ちになりましたか? ラモーンズのメンバーとして認められたという感じですか?

CJ:(長い沈黙の後)、やっぱりジョニーから誉めてもらえたというのは、凄く嬉しいかったよ。自分にとってもうこれ以上のものは何もいらないというくらい価値がある言葉だったよ。ラモーンズのメンバーというのはみんないい人たちだったけど、すごく難しくて個性的な人間だった。多分クリエイティブな人たちはみんなそういう難しい人たちなんだと思うけど、理解し付き合うのは大変だった。でも自分はそこでなんとかやってこれたという自負もあった。 それと自分がラモーンズのメンバーになれたのはジョニーが俺を選んでくれたからなんだ。ジョニーはラモーンズの軸になってた人間だし、ジョニーがいなければ、ディー・ディーの脱退どころか、とっくにバンドは終わっていたよ。そんな風にラモーンズをずっと守り続けてきた人間が「おまえはよくやった」と認めてくれたんだ。周りの友達がラモーンズはロックの殿堂入りしたり凄いねと言ってくれたりもしたけれど、俺にはそんなことよりも、ジョニーに認めてもらえたということの方が殿堂入りの何十倍も価値のあることだよ。


日常。ダニエルは実は何度も来日していて、東京はかなり詳しいです。

●あなたがラモーンズのメンバーで良かったことは何ですか?


CJ:自分が凄く好きでリスぺクトしたバンドのメンバーでいられたというのは当たり前のことだから、それを除いたとしても、ラモーンズのメンバーでなかったら絶対に経験出来なかったことが沢山あった。それを経験できたこと。そして自分がリスベクトしてきたバンドのメンバーと実際に自分が直接人間関係を形成してその中でやってきたこと。そうゆうことは自分にとっても物凄いインパクトだった。だからこそ今、自分が経験したことを語っていかなければいけないんだな、とある種の責任を感じたりもするんだ。

●もしも自分の息子がラモーンズのようなバンドに入りたいと言ったらどう思いますか?

CJ:本当に音楽が好きでそのバンドでやりたいと思うなら、サポートするよ。それはやってみるべきだと思う。実際に息子は音楽が大好きで、エモーショナルなタイプなんだ。

取材中CJは、言葉を選びながら話していた。映画『END OF THE CENTURY』の中で否定的なことを発言し、その部分だけを使われてしまったことに少し後悔していたからだ。あの場面は、その前に2時間近く喋ったけど、映像として使われたのはあの否定的な部分だけだったらしい。そうした経験も含めいろんなことを学んだCJは、ラモーンズ時代とはまったく違ってとても「大人(父親)」に見えた。ラモーンズに対する責任と愛情もあの時とは比べられない。今回の来日で本当にそこを強く感じた。ジョニーの死が彼にとってとても大きかったんだと予測できたこと。そして気持ちを表したパフォーマンスも最高だった。いろんなことを確認できた価値ある来日。亡きメンバーも大好きだった日本で一番下っぱだったCJが頑張った。ジョーイもジョニーもきっと喜んでるんじゃないかと思う。

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通訳:栗原いずみ
撮影:取材中・sumie(スタッフ・すぅちゃん)
撮影:ライブ・yuki kuroyanagi


2010.02.18


テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by (c)yuki kuroyanagi & (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN

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