ラモーンズ・トリビュート・バンドとして、その実力、こだわり共に最強(?!)と噂される話題のDUMB(ダム)。DUMBインタビュー<後編>は、ザ・ライダーズのヴォーカリスト、J. Ohno氏。「このプロジェクトでラモーンズへの愛は出しきれたのか?!」と自問自答しながらインタビューに応えてくれました。ここでしか読めないOhno氏のラモーンズに対する熱い想いをDUMBライヴ写真や本人の秘蔵写真(!)と共にお楽しみください。

●DUMB、リリースおめでとうございます。ラモーンズを今、改めてやろうと思ったきっかけと、いつ頃からこのバンドを始めようと思っていたのかを教えてください。

── J. Ohno(以下 J):やっぱり長きに渡ってラモーンズを見させてもらって、この人達に恩恵だけ授かってこのまま何もせずにいていいのかっていうのがあったからだね。メンバーが亡くなったのもきっかけとなって、自分の寿命がいつ来るのかなと自分に置き換えても考えたし。ラモーンズばりの色々なことはパフォーマンスから音楽的なことまで、全てライダーズの原動力にしてきた部分もあるんで、いつかはやりたいなと思っていたのが今かな。  ただ、ライダーズをやってたんで、サイドプロジェクトはやれず、活動休止するとなった時点で、何か打ち出せるモノがあるんじゃないかと。いや、もう「何か」じゃなくて「これ」(DUMB)しかなかったというか(笑)。

●なるほど。納得できる理由です。

── J:もうずっと、やりたいとは思ってたんだけど、やっぱり形に出すっていうのは、ものごと整理しないと自分もライダーズやってるから、その辺はあんまり中途半端な出し方はしたくなかったしね。

●今回のDUMBのアルバムで、ラモーンズのこういうところは生かしておこうといったコンセプトやこだわりみたいなのものはありましたか?

── J:やるきっかけになったのは、早朝ピストンズのナス君と知り会ったこと。やっぱり彼のスタイルを見て、「コイツとだったら成立するな」っていうのが一番だった。トミーも大好きなんだけど、ラモーンズってドラムのリズムはマーキーで成立するところが自分の中にはあって、やっぱりマーキー・ラモーンばりなものを叩けるヤツに出会ったから実現したと思う。  こだわりは、ドラムはハイハット・シンバルやライド・シンバルのエイト感っていうのをいかに出せるかっていう部分や、モズライトはハウリングも凄くするし、音も若干パワー感がなかったりとか色んな制約があるんで、アンプを逆にマーシャルじゃなくてメサ・ブギーを使ってみたりとか、そういう工夫も自分なりにしてみたよ。  あと、実情を話してしまえば、限られた中でどれだけ自分たちでお金をかけないよう努力して、ライヴで見て体感した音に近付けるっていう点もこだわったよ。ラモーンズを一番前で見てきたから、アンプの出音っていうのを聴いてこれたし、そういうのも勉強できたんで。自分たちがどうやってそのプロデューサーの部分も含めてチーム・ラモーンズとしてどこまでラモーンズを自分達の音に再現出来るかな、と。  長いことアルバム出してきて30年来やってきたラモーンズというバンドの、どのポイントに合わせて音を作るか、と。時代時代によって音は違うから、そのへんが結構難しかったかなぁ。

●ちなみに、どこの時代のラモーンズを目標にしましたか?

── J:基本的には『ロコ・ライヴ』。確か、『トゥー・タフ・トゥ・ダイ』が出る85年だか84年か忘れたけど、その辺でニューヨークでやったリッツでのライヴがたまたまFMで流れて、『トゥー・タフ・トゥ・ダイ』が出る前だったと思うけど、その時に「ラモーンズはこういう形になったのか!」と。「デュランゴ95」がトップにきてハードコアばりな感じの音で。まぁ、それがある意味、俺の新たなラモーンズとの出会いだったんだよね。それ以前のことはもうとりあえず払拭した部分があって、そこからまた新しく出会ったという。

●なぜ払拭しちゃったんでしょうか?

── J:うん、本人達の問題もあると思うし、俺がそんな偉そうなこと言えたアレじゃないんだけど(笑)。映画『ロックンロール・ハイスクール』に出たりとか、『プレザント・ドリームス』をリリースして『サブタレイニアン・ジャングル』が出て、何かしら自分のイメージしてたものと実情が違って、ラモーンズのやってることがアイドル的なエンターティナーの世界なんだと思えてきてね。ラモーンズっていうのは実はパンクがどうのこうのと言うよりかは、そういうショー的要素も強いし、もしかしたらこれはもうビジネスとしてやってるバンドなのかなぁっていうのを凄い感じ始めた。だから『エンド・オブ・ザ・センチュリー』の時に革ジャンを脱いで、4人で写真を撮ってる姿にしても、アイドル・バンドみたいに思えたし、もしかしたらラモーンズは自分がイメージしてきて勝手に作り上げてきた無骨で荒削りなものとは違うのかなぁと思えて。

●『トゥー・タフ・トゥ・ダイ』のリリースによって、タイトル通り「死ぬにはタフ過ぎる」と復活したラモーンズを受け入れられたっていう感じですか?

── J:そう。もう、そこがホントに本質的なもの、俺が求めていたものだった。ホントはこの人達はエナジーがあって、凄い確固たるものを持ってやってたっていう、それじゃないとあのスタイルってういのは貫けなかっただろうし、あのサウンド・スタイルも。  楽曲にしても、革ジャンにしてもそうだし。そういうのを含めて貫ぬき通してるラモーンズに改めて会えたような気がした。


●ライダーズの時も追悼でラモーンズの曲をやってましたが、メンバーが亡くなったことの影響は大きかったですか? 例えば、シド・ヴィシャスやジョー・ストラマーも他界してますが?

── J:シド・ヴィシャスの死はリアルタイムではなかったし、当時情報としても入ってこないし、自分に精神的に何かあるかって言ったら全くない。ジョー・ストラマーに関してもショックはショックだったし、クラッシュも好きだし、ピストルズも好きだけど、ビッグネームのバンドのメインの人間が死んだと。そんな感じ。俺はラモーンズが中心でこれまできてたんで、そういう意味じゃ、もう何かまるで身内が死んだみたいで、自分の人生と色々重なっちゃって・・・。  俺は小学生の時に結構沢山、火葬場に行ってて、おじいさんおばあさんは中学生の時に全滅してたから、父親も死別してるんで、そういう意味じゃ、家族と死に別れるっていうことがそれ以来なかったんで、それがまたこういう形でやってきたなと思ったよ。

●話は変わりますが、映画『エンド・オブ・ザ・センチュリー』の率直な感想を教えてください。今、若いラモーンズ・ファンに感想を聞くと、「バンドってあぁいうもんだ」「あぁいう歴史だったんだ」っていう客観的な意見になるんだけど、実体験組の感想を聞かせてもらいたいです。

── J:自分も長くバンドをやってきたから、もうかぶるところはかぶりまくりで、ただ規模はメチャメチャ小さくてスミマセンみたいな感じなんですけど。最初は凄い複雑で、この映画がどういう風になってしまうんだろうって見ながら凄い心臓がバクバクしてて、たぶんダークな方に行くんだろうなぁと、ネガティヴな方に行くんだろうなぁっていうのは予想しつつ心臓がバクバクバクバクして、それをどうやって受け止めなきゃいけないかって自分を用意するのが大変だった。  ただ、基本的に色々な見方があると思うんだけど、あれだけレアで絶対に見れないような映像、トミー・ラモーンの今の姿も含めて、昔のラモーンズの映画として何でこんな秘蔵の素材がいっぱいあったという点では、ファンとしてはもうホントに感謝感激だったよ。でも、やっぱり予想してた通り、こんなもんなのかなぁと、やっぱ仲悪いんだなぁと、本人達と知り合いでもないから推測しつつ、凄いネタが出てくるんだろうなぁっていう(笑)、まぁ、緊張感を持って見てたよ、ずっと。ビッグな人達でもあるし、自分がもう師匠と仰ぐべく人達なんだけど、辛さとか過酷だった部分は俺達が見れば計り知れない規模のもんだったろうなと。

●試写会が終わった時、最後まで立ち上がらずに座ってましたよね。

── J:そう。それで試写会終わって、正直言って、いろんな思いが巡り巡っちゃって、立てませんでした。その後、渋谷の街に消えていったんだけど、家には帰りませんでした(笑)。それほど色んな意味でショックを受けました。これはたぶん一冊の本になるぐらいの思いがあるよ。だけど、凄く楽しめる映像も見たし、色々考えさせられるし、自分にもかぶるし、ラモーンズの実情もかいま見れたし、人としてラモーンズという人達を、要するにジョニー・ラモーンとかジョーイ・ラモーンとかじゃなくて、ジェフリー・ハイマンだとかジョン・カミングスがどういう人達なのかって興味もあったし、やっぱ師匠である以上、そういう男っぷりも見たいわけ、人としてね。実際に会ってメンバーとも話したことある中で、キャラ的に友達になれないなっていう何か寂しさもあったし(笑)。  関係ないけど、俺、父親と死別してるんで、ファザー・コンプレックスもあるかも知れないんだけど、ジョニーに会った時に初めて握手して、こんだけの手の分厚さと、ガシっと握る感じで、一、二を争うぐらい、凄い印象的な握手をしてくれた人だった。それだけはもうホント、ラモーンズを好きでやってきて、ジョニーの握手だけでもう価値はあると思ったよ。

●なるほど。最初に実際に会ったラモーンは誰ですか?

── J:誰だっけなぁ。やっぱジョーイ・ラモーンかな。それはニューヨークのリッツ。89年。ん?88年に来日した時、六本木のプリンス・ホテルかな。

●それは、書いてもいいんでしょうか? 追っかけしてたって?(笑)

── J:部屋に潜入したわけじゃないし、ただロビーに遊びに行っただけ(笑)。

●その時にジョーイに会ったんですか?

── J:一応、全員に会ったけど、話したのはディー・ディーとジョーイ。

●何を話したんですか? 何か曲のリクエストとか?

── J:いや、とにかくもう、ジョーイ・ラモーンに会った時は、「アイ・ラブ・ユー」しか言わなかった。

●(爆笑)。

── J:で、いきなり肩を組まれて、首根っこをグーっとやられた。その時、肩を組んで揺さぶられるような感じで嬉しがってたんで、俺は彼の腰に手をグッと(笑)。

●ラブ・ラブですね(笑)。背はジョーイの方が高いですか?

── J:もう全然高いよ。10何cm高いんじゃないかな。俺もデカイ方なんだけど、あの時はまぁ子供のように(笑)。あと、ディー・ディー・ラモーンがほぼラリってる状態で、でも手にはUCCの缶コーヒーを持ってずっと握りしめながらしゃべってたっていうのが(笑)。

●(笑)。メンバーの中で、昔とは違うと思いますが、2007年の今、一番好きなのは誰って聞かれたら誰っだって言いますか? 昔は、それこそ20年ぐらい前は「ディー・ディーだ」と言ってた記憶がありますけど、今色んなことがあり、映画も見て、経験した中で、そして自分のポジションを通過し、そういう意味では今誰なんでしょう。

── J:うーん、やっぱり一番影響受けてるっていう点では、ディー・ディー・ラモーン。ポジション的にはベース・プレイヤーって、ハードロックにしてもヴォーカルとギタリストが花形みたいなイメージだけど、それを変えたのはディー・ディー・ラモーンかなっていうのがあって。それからパンクっていうとフェンダーのプレシジョン・ベースになったりとかね。シド・ヴィシャスはディー・ディーをアイドルとして飛びついて、プレシジョン・ベースを持って革ジャンを着て破けたジーンズを穿いて、あれはもう完全にディー・ディー・ラモーンのコピー。やっぱそれだけ影響力があるっていうのはディー・ディー・ラモーンの大きさっていうかなぁ、存在の。ジョーイ・ラモーンとかジョニー・ラモーンも確かにかっこいいなとは思うんだけど、ディー・ディー・ラモーンは何かこう男っぷりとして持ってる野性味というかな、ギャング的なというか。で、ジョニーはもっと知的に見えたんで、頭いい人だなぁという感じはあるんだけど、ディー・ディー・ラモーンは日本で例えると過去には暴走族やってきたんじゃないかという感じがしてたんで(笑)、その人がステージングした時にどうなるかっていうのを俺達はワクワクして見てたんで。まぁ、あとはトミー・ラモーンもとにかくしつこく執着して見てたかな、昔のビデオに関しては。で、ジョーイ・ラモーンを一番見てなかったかと。

●(爆笑)。

── J:その時・・・17〜18、19才の時は自分もベースだったんで。ラモーンズ始めたのはやっぱベースで始めたんで。ヴォーカルは別にいたって感じで。

●今、Fan Club会員の8割がラモーンズ・ライヴを見たことないという世代なので、ライヴの一番印象に残ってる話を聞かせてほしいのですが、どんなだったでしょうか? 追っかけ体験でもいいし、一番面白いのはこうだったというエピソードを教えてください。

── J:うーん、難しいなぁ。

●しかも、スタンディングになり始めたぐらいがラモーンズを聴き始めた頃。スタンディングで見るのが当たり前の時代に生まれた人達には、ラモーンズをイス席で見ること自体がストレスという話など。例えば、どのライヴが一番印象に残ってますか?

── J:ユキちゃん(カイチョー)と俺の世代ですら、日本だとディー・ディー・ラモーンを見た人ってのは少ないだろうしね。俺が89年にニューヨークへ行った時はCJに代わってたんで、ディー・ディー・ラモーンは日本に来日した最後のそれを見てるぐらいしかない。当然77〜78年の頃とか76〜77年からずーっとロンドンへ行った『イッツ・アライヴ』になった頃とか、そういう頃のラモーズを見てるわけじゃないんで、これに関してはもう、俺たち日本にいる人でさえ、ラモーンズをあまり見た人っていうのはいないんじゃないかな。80年に一回来日してるってそれも自分は見てないんで。

●では90年とかは?

── J:そうそうそう、見てるけどね。だからギリギリ、ディー・ディー・ラモーン見れたなと。正直言って、もうね、自分のベースは弾いてないし、借りてきたベース弾いてるし、直接会って見たけど、体重も20〜30kg増えたみたいな、腹周りはバッカリ出ちゃって、全然気にしてないオッサンになっちゃってるし、ただやっぱそのオッサンになった雰囲気がまたドスが効いてカッコイイっていう、もうこれね、惚れたが負けで(笑)、何でも許しちゃう。そういうとこあるんで、やっぱディー・ディー・ラモーンありきの、どんな状態であっても、やっぱり見れた喜びっていうのは絶対的に違うね。

●なるほど。88年の中野サンプラザに自分のベース持ってこなくても良しですか?

── J:良し!

●(笑)。じゃあ、ライダーズに、ディー・ディー・タイプの人間がいたらどう思いますか?

── J:うーん・・・・・・そうだなぁ、それはもしかして自分かも知れない(苦笑)。自分もちょっと自虐的なところがあって、何回か破滅してきたんですけど(笑)、まぁ、命は何となく保たせていただいてるんだけど、自分も色々しでかす事があって、やっぱり破壊されて行ってしまう美しさっていうか、美化したらおかしいんだけど、どうにもできないパンク・ロッカーの儚さというかな、そのコントロール利かないという人間だから、一瞬の内にバーンと気狂いモードに入って終わっていく美学だったりするしね。長生きして、まっとうなことを言って死んでいく、それもアリだけど、研ぎ澄まされた世界だから、バーンとやってバーンと終わる。21年で死んでしまうシド・ヴィシャスの生き方もあるし、それで何かを残したかというと別にない。でもね、俺はやっぱりディー・ディー・ラモーンがダメでも、やっぱりディー・ディー・ラモーンのサンプラのライヴは印象に残っちゃってるな。

●ちなみにCJはどうですか?

── J:最初に見たのはニューヨークで、その時はシドみたいに髪の毛をスパイキーにして、サングラスをかけて出てきた。その頃、ラモーンズの評判もどうだったのか分かんないんだけど、まぁ、結構「サックス、サックス」ってみんなが叫んでて、言われてるのがたぶんCJだったと思う。それかディー・ディー・ラモーンに対してだったのかっていうのも・・・会場がリッツっていう結構広いところなんで、グォングォン色んな騒音がしてて、聞きとれはしなかったんだけど、たぶんCJに対して歓迎ムードではなかったよ。

●でも、Ohnoさん的には、CJはディー・ディーとは全く違うのでは? フツーのアメリカの若者っていう感じだけど、あれはあれでOKなんですか?

── J:オーディションで加入したでしょ? だから、あぁ、こういう人が入ったと見て判断するしかないなと。だからもう、いいも悪いも全然考えないで、とにかくこの人によってバンドが継続されるんだったら、それはそれで俺達としてはもっと見たいし、そりゃもう、よくぞやってくれてるなという気持ちで俺は歓迎したよ。

●そのニューヨークで見たライヴはどうでしたか?

── J:やっぱりラモーンズが最初にディー・ディー・ラモーンありきでやってきたようなイメージが俺の中では強かったんで、ただこの頃になってくるとジョーイ・ラモーンも色んな意味で人から必要とされるようになって、昔はバンドの中でただヴォーカルとして歌わされてるみたいなイメージだったんだけど、80何年になると、ジョーイ・ラモーンの発言権ってかなり強くなってきてるし、色んな意味でソロ的な部分もかなり強くなってきてる。バンドの部分ではおさまらないボーカリストになってしまった部分があるんで、ジョーイ・ラモーンを見てたかな。

●ジョーイの話が出たので聞きますが、ジョーイの歌の魅力ってどういうところでしょうか?

── J:70何年にパンク以前のルーツの唄い方をしてる人かなっていうのは印象的にあるし、逆に言うとロカビリーなんかの唄い方――しゃくる唄い方とか、そういうのも含めて、あの人もビートルズが大好きだったり60年代の音楽を愛してきた人の唄い方という印象かな。76〜77年にパンクが出てくる時の唄い方とは違う部分で存在してた部分があるんで、たぶんジョニー・ロットンとかジョー・ストラマーのあぁいうインパクトは俺も最初はなかったのかも知れない。だから最初聴いた時には随分か弱い感じには聴こえたんだけど、それでいつの日か急に・・・ラモーンズ聴き始めて何年かな?聴いて2〜3年ぐらいでそうなったのかな?凄いなこの人のフィーリングって思えた。そこからは、声質であったりとかも、これはもう授かりモノなんで、やっぱり真似できないなぁと。その人の凄い声の骨格鳴りというか。あとはその人の変に意気込んでない部分のリズムの取り方とか、そういうの全てもうスーっといつか入ってくる時があって・・・。

●ジョーイの声には色気がありますよね。その唄い方を連想させるのが、憑依(ヒョーイ)ラモーンを名乗るOhnoさん(笑)。

── J:(笑)。やっぱね、あの人も地声が低いし(と、低い声を出してジョーイの喋り方を真似する)、こんな感じだから、やっぱ背がデカイ、大きい人って声が低いから。だからラモーンズのキーもそんなに高くないし、今回のDUMBのアルバムでも色んな人に歌ってもらったんだけど、キーが低いのに苦戦してて、やっぱ声が張れないし、で、今の魅力っていうのは、張れない部分のキーで、要するにハードコアとかパンクにしても、へヴィメタにしても、かーっと張る部分ではある程度声は安定するんだけど、キーが低い部分の声を安定させるっていうのはなかなかできないの、これは。うん。

●ごまかしが利かないんですね。


── J:そう、ごまかしが利かない。で、震えちゃったりするのね。関係ないけど、宇多田ヒカルも震えてるね。そういうのを含めて、あのキーの高さで声を震わせないでエイト感に乗っけて流暢に歌えるっていうのは、あの人の持ち味だし、ホントに良きアメリカの50年代かな。チャック・ベリー、ビル・ヘイリー&ザ・コメッツが出た頃から、その辺のロックンロール的な唄い方っていうのは、非常にあの人の分、がーんとあるわけで、色気というのもあるけど、リズムの取り方から、断片的じゃなく流暢に歌う。その辺はもう、素晴らしいもんだなと思う。それに急に気付いたんだよね。2〜3年経って、これ凄い!と思って。

●Ohnoさんもボーカリストだから、他人の歌は音楽そのものを楽しむんではなく、唄い方からそうやって入ってくるもんですか? この人の唄い方はちょっと変わってるなとか、そういうのはありますか?

── J:そうそう。あるある。セックス・ピストルズだって聴いてみればわかるんだけど、ちゃんと流暢に歌ってるの。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーのブルースじゃないけど、うねったドロドロした唄い方というか、そういうのを感じて、もうちょっと不良なガキみたいな。でも実を言うと、ジョニー・ロットンも吐き捨てるようには歌ってるけど、ちゃんと流暢な感じで歌ってるのね、よーく聴くと。だからジョー・ストラマーにしてもそうだけど、ちゃんと歌える人が歌ってるかなっていう。でもそれを聴いて新しくバンドをやっていってる人たちはデフォルメして出していっちゃうから、どんどんどんどんハードコアみたいな断片的な歌みたいな、言葉がめちゃめちゃ詰まったような歌になっていくのかなと。ベイシティー・ローラーズがどうとかラモーンズも言ってたけど、ジョーイ・ラモーンがベイシティー・ローラーズを歌ったのを聴いてみたいなと思うほど、この人だったら歌えるでしょうという。その辺はもう、パンクがどうたらという世界じゃなくて、あの人の唄い方と声が好きだなぁって。フィーリングがね。

●Ohnoさんはギターも弾くようですが、ジョニーのギターは簡単ですか?

── J:今までは曲を作ってる時に弾いてた程度で、まぁ、中学の時からギター&ヴォーカルだったんで、それなりにはギターを弾いてきたというのは事実なんだけど、ここ20年ぐらいスタンディング・ヴォーカルだし、公の場では弾いてないから(笑)。

●でも(ジョニー・ラモーン)追悼ライヴの時には弾いてましたよね? ギターを弾くこと好きでしょう?

── J:大好き。

●(笑)ギタリストになろうと思ったことはないんですか?

── J:最初はスタンディング・ヴォーカルという立場は大嫌いなんで、ギターを弾きながら・・・リズム・ギターしか弾けないから、それアンドちょっとコーラスで歌ってみたりとか、っていうのが俺の理想。いまだに。ヴォーカルだけなんかやりたくない。

●本当ですか? 違うバンドをやってみては?(笑)

── J:うん、っていうか考えたことあるしね(笑)。

●面白い!それで質問に戻りますが、ジョニーのギターは簡単なんでしょうか? ラモーンズはシンプルな音だから、ジョニーのギターって誰にでも弾けるもんなのかなと。今度のアルバムでも全部Ohnoさんが弾いてるじゃないですか。前にクラブチッタでラモーンズのカバー大会(『Stay Free』というイヴェント)をやらせてもらった時に出てもらったけど、あの時にKEMURIのヴォーカル伊藤さんが、「あまり人の曲をカバーしたことはないんだけど、初めてラモーンズの「ロックンロール・レイディオ」をやることになって挑戦してみたけど、スッゲー難しかった」って。「この人達ってやっぱり天才だ。遅くて申し訳ないけど、初めて知った」って言ってました。「曲のコードとかも凄くよくできているし、歌をただ真似して歌うんじゃなくて、色々とラモーンズって奥が深いんだな」と彼は思ったって言われました。で、基本はラモーンズってシンプルだし簡単に見えますよね? だからジョニーのギターは簡単にできるもんなのかなと。

── J:できません(笑)。それなりにパンクロック自体が「明日にでもバンド組めるぞ!」というのも含めて、それはそれで絶対にアリだし、はっきり言って、そういう風に音楽に凄く気安く入る、自分のものにできる、きっかけとしては凄く大きい。  ただ、日本人の俺が言うのも何なんだけど、結局、日本人と欧米人はリズム感が元々違う。それを日本人の俺たちが出来るかって言ったら、出来ない人も当然段違いで出来ないわけで、向こうは黒人も白人も含めていろんなリズムがクロスオーバーされてる。それを日本人、黄色人種が対抗しようと思っても無理。本人は「僕は全然できなかったから、これしかできなかった」って言うけど、あのダウンピッキングを確立してしまったというところは、やっぱり努力とかじゃなくて元々の才能というかね。じゃあ、欧米人としてはあのダウンピッキングをできるかって言ったら俺はできないと思う。いまだにあれをやれる人はあんまり聞いたことない。弾き方が、口では言えないんだけど、音をミュートする時のカッティングの音っていうのも独特のあの人の手ぐせがあって・・・。

●それがテクになってるってことですね。

── J:そうそう。だからジョニー・サンダースもそうでしょう。上手いかって言うと上手くないかも知れない。だけどあの人の手ぐせがみんな好きで、大好きなだけであって。

●なるほど。マーキーのドラムはどうでしょう?

── J:できない。あれを世界中にできる人はいない。

●なんだか、ラモーンズって凄い難しいバンドみたいですね(笑)。

── J:マーキーのリズムの取り方、フットワークの取り方、ハイハットのチチチチチって引きずるような、あれはもうリチャード・ヘルとやってた時に完成されてるし。ラモーンズ入る前にできてた技だよね。そういうのがあるんで、あの人の手ぐせの部分と、ラモーンズが一体化した時に職人芸として仕事となった。で、凄い確立されてしまったんだなぁと。わからないけど、あれは授かりモノとしか言いようがない。努力とかじゃなく持ってうまれたセンスというか。

●凄いオリジナリティーにあふれたバンドですね。

── J:うん。ディー・ディー・ラモーンのベースもできるかなって言うと、あれも出せないと思う。そう考えると世界中で64億人口がいる中でディー・ディーも64億分の1なのかなって思うね。

●Ohnoさん、ドラムは試したことないんですか?

── J:ドラム叩くよ。30秒だったらちゃんと刻みますね(笑)。まぁ、3分は持つと思う(笑)。

●全然深く考えなくてもいいですけど、ラモーンズのライヴを見たことがない人が多いんで、コピーをやるとしたら、こういうところはこだわった方がいいよとか、こういう風にするといいよっていうアドバイスを!

── J:難しい。結局、俺達もどこの地点に合わせてるかって言うと、唄い方ひとつにしてもジョニーの弾き方にしても、結構時代時代で変わってて・・・。

●たとえば、曲が「ピンヘッド」だからピンヘッド風ね、とかなるんですか?

── J:うーん、「ピンヘッド」にしても「ティーンエイジ・ロボトミー」にしても、弾き方がチャーンチャーチャチャーンチャーチャって弾くところも後期は変わってきてる。テンポが速くなって追いつかなくなって抜いて弾いてるところもある。だからそういう時は速いエイトが叩けるんであれば、速いダウンピッキングをして、なるべくエイト感を出す。それはマーキーが入ってちょっとしてから、ジョニー・ラモーンもまだダウンピッキングをやってたけど、曲がもっと速くなってからはジョニーもダウンは端折ってジャーララジャーララでしょ? だから俺たちDUMBでやると、当然それはエイトではダウンピッキングは出来ないんで、「ビート・オン・ザ・ブラット」とか「ロックンロール・レイディオ」だとか、あぁいう曲でしか出来ない。速くやっちゃうとアップダウンみたいな取り方しかできないんで、ただ何が大切かって言うと、そのエイト感。エイトを制しなければコピーは出来ないです。

●そうエイト感に固執すると、ドラムが一番大事なんですか、DUMBは?

── J:うん、全員がエイト感を持つことが大事。ボーカリストもそう。ヴォーカルに関してはねぇ、正しくは打ち合わせてないから(笑)。俺の場合はたぶん、今とってつけてやったわけでもなしに、このアルバムを20年後に出そうと思ってやってきたわけじゃなくて、いままで20何年か30年の蓄積でヴォーカルをやってるだけであって、これも授かりモノ。そのために準備してきたわけでもないし。やっぱラモーンズを歌うことで楽しいなあって思って歌うのが一番だと思うし、それはもうオリジナリティーはジョーイ・ラモーンにしかないわけだから。ただ真似したいなぁと思う人は極力真似するのがねぇ、それがファンとしては醍醐味なんだよね(笑)。

●(笑)。DUMBは期間限定ですよね? 今このDUMBで敬意を払ってアルバムを作ったわけですが、Ohnoさんのラモーンズへの愛は全部出し切りましたか? あとはライヴをやって完結という感じですか?

── J:うーん。自分の中で・・・何ていうかな・・・(突如、沈黙状態となり、涙を流すまいと顔を覆ってしまう)ちょっと待ってて(と言って席を立つ)。


 
(ここから、Ohno氏は席を離れてしまったのでしばらくインタビューは中断。席を離れた理由がインタビューの「ラモーンズへの愛を出し切って満足したか?」という質問に対し、「全部やりきったのか、ラモーンズに対し敬意を払えたか」と、自問自答した結果、色々と思うことがあり言葉が出なくなってしまったそうだ。インタビュアーがラモーンズ・ファン・クラブだからということもあり、隠さず話してくれていたことで、ラモーンズへの想いが感極まってしまったそうだ。しばらく休憩を挟み、リフレッシュしインタビューを再開した。)

 
●さて、今日はどういう気持ちでDUMBが結成されたのか、バックグラウンドがわかるインタビューになってますが、人それぞれラモーンズに対し色んな思いがあるんだってことですね。

── J:今まで色んな取材を受けてきたけど、やっぱり相手がラモーンズが大好きな人達だということもあって、今日の取材は話すことが沢山あった。それまで、人に打ち明けていない部分、それはなぜ今になってラモーンズをやるかっていうラモーンズに対しての気持ちの部分なんだけど、それをファン・クラブの会員の人達ならたぶん理解してくれると思ったし。色んなこと考えてたら、死んでしまったラモーンズのメンバーがガッと思い浮かんだんで、ちょっと取り乱してしまいました(苦笑)。  ライダーズが活動休止している中で、なぜDUMBをやったのかという理由やラモーンズとの関わりを、俺は今まで人には公言して来なかったんだよね。ラモーンズに対する思いは自分の中にみんなそれぞれあればいいし、公表すべきじゃないと思ってたから。だから、DUMBはラモーンズの音楽として、きっかけのひとつとして楽しんでもらえばいいアルバムだと思って作ったんだよ。ただ、今日みたいな取材になると、ユキちゃん(カイチョー)とは、もう昔からの付き合いだし誰もラモーンズを認めてくれない時から語り合ってきてたから、色んな思いがよぎってしまってね。メンバー3人が死んだことから色々と。  俺は話すよりライヴをやった方がもっとリアルに伝わるのかも知れない。俺の中では、色んな思いがあるけど、言葉としてうまく表現したくてもできない。だからうまく伝わったかわからないけど、今日はそんな俺の中で大事なラモーンズが大好きという人達にむけての取材でしょ? だから実は昨夜から凄く話すこともずっと考えていたんだ。

●ありがとうございます。ラモーンズに対しての想いが強い分、またラモーンズ・ファンが読むファン・クラブ・インタビューということで、プレッシャーみたいなものを与えてしまったようですね。

── J:うん。ラモーンズ・ファンはプレイヤーとしては俺達みたいにやってみるのもアリだし、楽しんでほしいよ。ラモーンズは色んなものを残してくれたんだから。自分にとってラモーンズは人生の指針みたいなバンドにもなっているので、何かを語る時、これまでにラモーンズと関わってきた色んな事柄を思い出してしまうよ。インタビューでジョニーと言い合って、険悪なムードになった後に連れションして、「ヨオッ」と声をかけられた時のこととか、来日しないラモーンズをニューヨークまで見に行った時のこととか、本当に本当に沢山。

●バンドの歴史が長い分、ファンの歴史も長いですよね。

── J:そう。俺はもう、ラモーンズやジョニーをもの凄く近い家族みたいな関係として捉えてしまってる。それは、例えば、俺には父親がいなかったというのもあって、ジョニーが厳格な父親に見え、自分は息子になってしまったみたいな。ウルサイこと言うオヤジだけど大好きだみたいな。そういうことも含め、自分の気持ちを他人にどこまで伝えられるかとか。今日のここを読んでいる人には伝わるかな、出せるかなと思ってたけどうまく伝わったかな?

●少なくともラモーンズを本気で好きでずっと生きて来たという点は、間違いなく伝わってますよ。

── J:今回はDUMBがどうのこうのっていうよりは、なぜ始めたかとか一言では言えないし説明できないんだ。ラモーンズの全てに関わってくることだから。なぜジョーイ・ラモーンの唄い方を真似して出来るのかは、ホントにラモーンズ好きな人達には理解してもらえればと思う。ラモーンズのいい曲を俺達がやったことによってブチ壊したくないし、なるべくラモーンズ的なところを、ちゃんとやらなきゃいけないなって凄いプレッシャーもあったし。そういう意味じゃホントに全てを出し切ると言うか、出し切れるのかどうかっていうのにようやくチャレンジしたと思ってる。・・・何か自分の中でラモーンズが何だったんだろう?って確かめるためにやったと思うんだ。

●なるほど。自分のラモーンズへのスタンスを確かめるたもの行為だったわけですね。判断は人それぞれだと思いますが、心意気というかラモーンズに対する尊敬の念というか、気持ちはちゃんと十分伝わっていると思います。今日は本当にありがとうございました。

★★


■■DUMB ライヴ情報■■■
2007年8月31日(金)@大阪 King Cobra
- DUMB "Tribute To the RAMONES" Release Tour w/ Shorty CAT (from KOREA), FUNGUS, ANGER FLARES, 早朝ピストンズ, ラディカるズ, TRASH

* 『TRIBUTE TO THE RAMONES』(LOCA-1009/税込3000円)発売中!
* DUMB are J. Ohno (Vocals), Koji (Bass), Ohguchi (Guitar) amd Nasu Ramone (Drums)

インタビュー / FCスタッフ: カイチョー・ユキ&atsuko katagiri
取材場所 / 東京・初台ファミレスにて (2007年5月)
ライヴ撮影 / Yuki Kuroyanagi


テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by (c)yuki kuroyanagi & (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN

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